これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/16 お茶の水と本郷

過日、夏休みを取得して東京に行った。 その最大の目的は、あまり医学的でないので、ここには書かない。 いずれ機会があれば、思い出した時に書くことにしよう。 東京を訪れたついでに、東京都心のいくつかの大学病院を偵察してきたので、その報告を記しておく。

最初に訪れたのは、お茶の水の某国立大学である。 狭い敷地に高層の建物が並んでおり、たいそう立派である。 外来受付ホールには多数の患者が座っていた。 建物は大きいが、全体的にやや古びた印象を受けた。 これといって特筆すべきこともなかった。 図書館にも入りたかったのだが、学外者への公開は制限されているようであった。 ウェブサイトをみると、予め目的の書籍を定めて入館申請せよ、とのことである。 我が北陸医大 (仮) の図書館が広く市民に公開されているのとは対照的である。 歓迎されないのであれば、無理して入ろうとまでは思わない。 建物は我が北陸医大より大きいが、大学や病院としての質や度量において、我が方が劣るようには思われなかった。

次に訪れたのは、同じくお茶の水にある某私立大学である。 こちらは、上述の国立大学と同じくらい大きな建物であるが、内装はきらびやかであった。 しかし、外来受付ホールなどに下品な二種類の掲示のあることが遺憾であった。

第一の掲示は医師国家試験合格実績の大学別一覧を示したものであり、「我が大学は、こんなに優秀な教育を行っているのだ」とでも自慢するかのようであった。 言うまでもなく、医師国家試験合格率の高いことは、良質な教育を施していることを意味しない。 むしろ、まともに医学を勉強すれば、国家試験で苦戦することは必定である。 すなわち、あの合格実績の高さは、この大学においてまともに医学教育が行われておらず、国家試験対策に徹した低俗な「教育」が行われていることの証左である。

第二の掲示は、卒業生の一人が医学とは全く関係ない政府の重職に就いたことを宣伝するものである。 学術ではなく、医療でもなく、政治における出世を宣伝するのが、この大学の方針なのだと思われる。

なお、図書館は学外者には開放されていないようであった。

最後に訪ねたのは、本郷の某国立大学である。 さすが日本最古の大学だけあって、敷地は広大であった。 病院内も賑やかである。 感心したのは、病院地下の食堂入口に、白衣での入店を禁ずる旨の掲示があったことである。 医者等が着用している白衣は不衛生であるから、飲食店等に入る際には脱ぐのが世界の常識である。 職員専用食堂ならグレーゾーンであるが、一般人も利用する飲食店に白衣のまま入るのは、不適切である。 しかし医者は怠慢であるから、多くの病院には、白衣のまま食堂に入る者が存在する。 これに対し、この大学は白衣での入店を明確に禁じているのである。たいへん、よろしい。

衝撃的であったのは、図書館である。 この大学では、当然のように図書館が学外者にも開放されていた。 そして書庫に入り、私は驚いた。 病理診断学の聖典である Ackerman の Surgicla Pathology が、1953 年の初版から最新の第 10 版まで、全て揃えて並べられていたのである。 もちろん現代においては、初版は教科書としては全く役に立たない。しかし貴重な史料として、また病理学の歴史的遺産としての価値がある。 これが丁寧に書架に飾られているというのは、我が北陸医大で Ackerman の第 5 版や第 6 版が捨てられかけたのと対照的である。

この大学の学生達は、かかる伝説的名著を座右に置き、日夜、学業に励んでいるというのか。 名古屋大学の学生達が「病気がみえる」などに頼り、医学の真髄に触れることもなしに医師免許だけを掠め取るのとは、雲泥の差である。

と、一瞬だけ思ったのだが、実は、そうではなかった。 図書館で勉強している学生が広げていた書物をチラリとみると、それは、どこぞの低俗な出版社が発行している、くだらない受験対策書であって、医学書ではなかった。 結局、図書館が立派であっても、学生の質がそれ相応に高いとは限らないのである。

東京大学、恐るるに足らず。


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