これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/14 妄想

医者の無礼な態度についての教訓話を書く前に、精神医療の基本的なことについて、いくつか書かねばならない。

妄想とは、精神医学的には 1) 事実に反する; 2) 確信している; 3) 訂正不能である、の 3 要件を満足する思念のことをいう。 だから、たとえば「妻が浮気をしているような気がする」というのは、確信していないから、妄想ではない。 また、「その日はずっと、あなたと一緒にいたじゃないの」と言われて納得するなら、訂正できているので、妄想ではない。 もちろん、本当に妻が浮気しているなら、事実に反しないので、妄想ではない。

統合失調症と呼ばれる疾患群は、妄想の出現などを特徴とする。 その妄想によって社会生活に問題が生じているならば、精神疾患と判断される。 定義上、患者自身は、妄想を「事実に反する」と認識することができない。 従って患者は「自分の状態が異常である」ということを認識できない、つまり病識のないことが稀ではない。 あたりまえのことであるが、その場合、患者本人は入院に同意しないのが普通である。

そこで精神保健福祉法では、精神保健指定医が入院加療の必要ありと認め、かつ本人に同意能力がない場合には、家族等の同意に基づいて「医療保護入院」として 強制入院させることを認めている。 また、精神障害のために自分自身や他人に害を与える恐れがある場合には、「措置入院」として、家族等の同意すらなしに強制入院させることも認めている。

強制入院や身体拘束は、日本国憲法第 13 条の定める「個人の尊厳」を侵し、同第 18 条の禁じる「奴隷的拘束」を行うものであって、 また同第 21 条の表現の自由も妨げるなど、著しい人権侵害である。 このあたりの法学的議論は山本克司「医療・介護における身体拘束の人権的視点からの検討」(The Teikyo Law Review 27, 111-138 (2011).) が素人にも読みやすい。

こうした人権侵害を認めている精神保健福祉法の規定に、違憲性はないのか。

この問題については、一部の法学者らが盛んに議論している。たとえば篠原由利子「医療保護入院・保護 (義務) 者制度を巡る論議の変遷」 (佛教大学社会福祉学部論集 9, 99-121 (2013).) や、 石埼学「精神科閉鎖病棟の憲法学」(亜細亜法學 42, 15-3 (2008).)などは初心者にも読みやすい。 しかし医者の多くは、自分達が国家より偉いと勘違いしているから、こういう法的問題に興味を示さない。 法学者が何かを論じても「彼らは臨床を知らないから」と、耳を貸そうとしないのである。 実に傲慢である。

また「憲法や法律が何といおうと、必要なのだから」などと言う者もいるが、笑止である。 たとえ必要であろうとも違法な「医療行為」は認められない、という基本的事実を認識していないのである。 これが著明なのが堕胎を巡る問題であって、日本においては違法な堕胎に手を染めている産科医が非常に多い。 彼らは彼らなりの正義感に基づいて行っているのだろうが、それは社会の合意を得ていない独りよがりの正義感であって、犯罪者の自己弁護に過ぎない。

さて、話を精神障害者に対する強制入院に戻す。 措置入院については話が簡単で、これは公共の福祉の観点から、患者の人権を制限しているのである。 患者自身のためというより、周囲の人のために、無理矢理、入院させているのである。 こうした人権制限は日本国憲法第 13 条も認めている。

問題は、医療保護入院である。これは、余人のためでなく、患者本人のための入院であるが、しかし患者本人の意思は無視して強制入院させているのである。 私の知る限り、 この精神保健福祉法の規定を合憲であるとする明確な法学上の論理は、存在しない。 「正常な判断能力が保たれていれば、本人も入院に同意するであろう」と推定した上で、 「本人の同意がないから、という理由で治療をせずに放置する方が非道徳である」という情緒的な理由で、臨床は動いているように思われる。

もし、発症前に本人が「私は、仮に統合失調症になっても入院したくない。医療保護入院させないで欲しい。」と明確に意思表示していた場合、どうなるか。 現状では、おそらく、本人の事前の意思表明を無視して家族等が同意すれば、医療保護入院が実施されるのではないかと思う。 しかし、それで良いのか。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional