これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/06 優しい心

私が、やむなく医学転向することを決めた時、幾人かの友人から「君が、医者になるというのか」と言われた。 もちろん、人格的に医者に向いていない、という意味である。 私ほど非常識で協調性がない者も珍しく、患者に優しい医療が提供できるとは思えない、という意味であって、私自身も、そう思っていた。

以前にも似たようなことを書いたような気がするのだが、繰り返して書く。 いざ医学科に入り医者になってみると、恐るべきことに、私は人格的な意味では、相対的に医師に向いているように思われる。 相対的に、というのは、他の学生や医者に比べて、という意味である。 換言すれば、周囲には、私よりもヒドい、医師に向いていない連中が、少なくないように思われる。

治療に対するアドヒアランスの低い患者がいる。 アドヒアランスというのは、治療への積極性のことである。 たとえば、薬を決められた通りに飲むとか、決められた食事制限を遵守するとか、そういったことである。 世の中には、処方された薬を飲まない患者や、糖尿病なのにムシャムシャとチョコレートを貪る患者、 あるいはアルコール性肝障害があるのに禁酒しようとしない患者は、稀ではない。

こういう患者に対し、程度の低い医者は「治す気がないなら、治療できない。帰れ。」と、突き放す。 「なぜアドヒアランスが低いのか」ということを、考えないのである。 病識が乏しいのか、あるいは依存があるのか。それとも何か別の疾患があるのか。 いずれにせよ、医療機関を受診している以上、患者は「治したい」という気持ちを少しは持っているはずなのである。 それなのに、自分自身の治療に非協力的であるとすれば、それは何らかの病気である。 身体的な疾患なのか、精神的な疾患なのかはわからないが、とにかく、病気である。 それを「やる気がないなら帰れ」などと医者が突き放すようでは、本当に医学を修めたのかと、その資質を疑わざるを得ない。

「単に、だらしないだけだろう」などと言う医者もいるかもしれないが、そういう者は、精神医学の勉強をやり直す必要がある。 現実に自身の体を傷つけており、やめたいという気持ちがあるのにやめられないなら、それは精神疾患である。 患者が希望するなら、医師には、その治療に協力する義務がある。

そんなこともわからない、患者の状況を理解する能力の乏しい医者が、遺憾ながら、日本には稀ではない。


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