これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/27 論文の被引用数

日本の、少なくとも一部の領域においては、科学者としての業績を impact factor で評価する風潮がある。 詳細を書くこと自体も腹立たしいが、物の道理を知らぬ者も少なくないであろうから簡潔に書けば、次のようなことである。 ある科学者がこれまでに書いた全ての論文について、その論文が掲載された論文誌の impact factor を合計する。 たとえば最初の論文が impact factor 2.0 の論文誌に、次の論文は 0.5 の論文誌、3 つ目の論文が 10.3 の論文誌に載ったなら、合計は 12.8 である。 この 12.8 点を、その人が持っている impact factor である、とする。 そして二人の科学者の過去の業績を比較するには、この持っている impact factor の大小が目安になる、というのである。

そもそも impact factor は、図書館において限られた予算を効率的に使うために、「利用される頻度が高い資料」を評価する目的で発明されたに過ぎない。 米国の Department of Chemistry, Pomona College の Gross らは 1927 年、限られた予算の中で購入すべき化学論文誌を選ぶ基準として 被引用数を基準とする方法を提案した (Science 66, 385-389 (1927).)。 これを、掲載されている論文数で除すことで補正したのが Garfield の impact factor である (Am. Documentation 14, 195-201 (1963).)。 なお Garfield は、これはあくまで図書館としての利便の問題であって、異なる分野の論文誌を比較するには impact factor は適さない、とも述べている。

つまり impact factor は、「人気があるかどうか」だけを基準に評価しているのであって、その資料が学術的に意義があるかどうかなど、もとより考慮されていないのである。 さらに言えば、これは論文誌の評価尺度であって、そこに掲載されている論文を評価するものではない。 実際、impact factor は様々な理由から、科学者の業績を評価するには不適切であることが知られている。 Med. Sci. Monit. 15, SR1-4 (2009). などは短くて読みやすくまとめられているので、興味のある方は読まれるが良い。 とにかく、impact factor で科学者を評価することは有害無益であり「可及的速やかに抹殺すべき風習」である (Br. Med. J. 334, 568 (2007).)。

ここで私が問題にしたいのは、もっと根本的な点である。 Impact factor で科学者を評価することを批判する人々も「論文の被引用数によって業績を評価する」という基本的な姿勢自体には強く反発しない例が多いようである。 しかし、それは、どうなのか。

この「被引用数で論文を評価する」こと自体を批判する意見を、私が初めて耳にしたのは京都大学 3 年生の時である。 我々が物理工学科原子核工学サブコースに配属された春の、懇親会の席でのことであったと思う。 某准教授が「引用された回数で論文の質を評価できるという考えは、あれは間違いだよ。私は調べてみたことがあるが、全然、そんなことはなかった。」と言った。 准教授が、どうやって調べたのかは知らぬ。 ただ、私には、そもそも「引用された回数で論文の質を評価できる」という発想自体が理解不能であったので、 この准教授の言葉も「そりゃ、そうだろう」ぐらいにしか思わなかった。

だいたい、世の中の論文なるものの大半には、学術的意義がない。 著者の大半は、大した学識もなく、頭脳の水準も高くなく、付和雷同してくだらない報告を量産しているような連中である。 このことは impact factor の有害性を主張する論説の中で、しばしば指摘されていることでもある。 そういう知的水準の高くない連中の多数決で決まる「被引用数」で、どうして、学術的意義を測ることができよう。

George Lundberg は、J. Am. Med. Assoc. の編集者として、引用されやすい論文ばかりを掲載することで同誌の impact factor を押し上げた「功労者」である。 学術論文誌の商業主義化の先駆けであるといえよう。 Br. Med. J. 334, 561-564 (2007). によれば、その Lundberg でさえ「論文の被引用数と科学的重要性の間には、あまり関係がない」という点は認めていたらしい。 また、impact factor を提案した上述の Garfield も「被引用数を基準とする手法は、個人の業績を評価する際には注意して用いなければならない」と述べている (Am. Documentation 14, 195-201 (1963); 再掲)。

研究予算の削減などにより、昨今の科学研究をとりまく環境は、ますます厳しくなっている。 その中で、予算やポストを獲得するために、被引用数を稼ぐための方策を駆使している者も多い。 彼らの事情は理解できるが、科学者の心を持つ者として、私は、そういう姿勢を容認しない。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional