これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/01 病理「夏の学校」(4)

「夏の学校」は、旧友との再会や、病理医の卵 (あるいは卵になる前の卵母細胞) 達との出会い、某教授らとの語らいと、実に楽しいものであった。 しかし、この日記は赤裸々を旨とするものであるから、残念な点についても、二つ、指摘しておかねばならない。

一つは、質疑応答の時間が乏しかったことである。 「夏の学校」では 5 つの講演が行われたが、いずれもスケジュールに余裕がなく、質疑応答はほとんど行われなかった。 一方的に講師が話すだけであるならば、はたして、はるばる中部全域から篠島に集まって会合する必要が、あるだろうか。 ビデオで配信したり、あるいは雑誌記事にまとめるだけで充分ではないか。 せっかく皆で集まったのだから、皆で議論し、双方向に情報のやりとりがなければ、つまらない。 そのあたりの配慮が乏しかったのは、実に遺憾である。

もう一つは、某大学教員による講演である。 内容の詳細に言及することは控えるが、子供を連れて米国留学した経験についても講演の中で触れられていた。 そこで、米国では幼少の頃よりプレゼンテーション能力を鍛える教育が行われていることなどを紹介していた。 私は、失礼ながら、少しばかり意地悪な質問をした。 「私は工学部出身であるが、工学部であれば、日本でも、それなりにプレゼンテーション技術の教育などが行われている。 しかし医学部では、名古屋大学にせよ北陸医大 (仮) にせよ、そういう教育がほとんど行われていないように思われる。非常によろしくない。 その点、あなたの大学では、どのようであるか。」と問うたのである。

単なる臨床病理医であれば「留学して、こんなことを身につけた」という話で良い。 しかし大学教員であるならば、自分が学んだことを教育に活かし、学生達に伝える道義的責任がある。 その意味において、あなたは、自分の留学経験を、自分の大学における教育に、どう活かしているのか、と問うたのである。

現在の病理医には、学生に対する教育への情熱の乏しい者が多いように思われる。 その結果、医学科における基礎病理学の講義も面白味が乏しくなり、学生が病理学への興味を失っているのではないか。 このことが及ぼす悪影響は、病理医を志す学生の数が減る、というだけのことではない。 多くの学生が、病理学を修めないまま、つまり疾患概念をよく理解しないままに、臨床講義や臨床実習に赴くことになり、結果、まともな教育効果が得られないのである。

さて、正直に言えば、たぶん何も行われていないのだろうな、と予想した上で私は上述のような質問をしたのだから、陰湿といえば陰湿である。 ただ、私は「なんとかしなければならないと思っている」というような言葉を引き出したかったのである。 しかし講師氏は「我が大学でも現状、何も特別なことは行っていない」と述べるに留まり、教育に対する情熱は語られなかった。

遺憾である。


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