これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨日の話の続きである。 現在の医療のあり方に疑問を持っても、それを批判できる研修医は少ない。 「それが標準だから」「○○科では、このようにやっている」などと、他人のやり方を真似するばかりで、それに異を唱えることができない。 私は何も、指導医に向かって異論を述べよ、と言っているわけではない。そこまでする必要はない。ただ、研修医室で、研修医同士で意見交換をせよ、と言っているのである。
批判しないということは、その現状を支持していることと同じである。「まだ研修医だから」というのは、言い訳にならない。 つまり、あなた方自身が、患者の利益を損ね、不必要に入院させ、意に反して最期を病院で迎えさせているのである。
あなた方が、かくも現行体制に従順な態度を示すのは、あなた方の医学への造詣が足りないからではなく、単に、勇気がないからである。 批判をすることで周囲に何か影響を与えることが、あるいは、いずれ自分に批判の矛先が向けられることが、怖いのである。
「知識や経験が不足しているから」などと、批判しないことを正当化しようとする者もいる。言語道断である。 批判するために必要な基本的学識と経験は、学生時代に積んできたはずである。 「知識が足りない」というのであれば、それは学生時代の怠慢を告白しているのであって、 つまり医師たる資質がないと言っているのであり、自身の態度を正当化する根拠にはならない。
だいたい、社会常識、医療倫理という観点からいえば、学生や研修医が最も高い水準にある。 今後、経験を積み、医療行為に慣れていけば、程度の差はあれども、徐々に世間の常識から乖離し、倫理観を失っていくであろう。 だから、今、現行医療を批判できない者は、一生そのままである。
そこで現行の終末期医療のまずさについて私が述べると「ならば、君ならできるのか」「自分でやってみろ」などと言って現行医療を擁護する研修医もいる。 依らば大樹の蔭、とばかりに、無思慮に現状に追従しているわけである。 病理医である私が終末期医療をできなくても、それは恥ずかしいことではない。 しかし臨床医にならんとする者ならば、適切な終末期医療を提供できねばならない。そういった意識すら、欠いているのである。
医者の世界には「同業者を批判することを避ける」という風潮がある。 批判することは和を乱す行為だ、というような意識があるのだろう。 なお、これは「和」というものに対する誤解に基づくものであるという点は過去に指摘した。 波風を立てないこと、上下の別を明確にすることを、彼らは尊ぶのである。 結果として患者に不利益が及んだとしても、それは、やむを得ないのである。 こうした医者の基本的な精神構造は、山崎豊子の『白い巨塔』の時代から大きくは変わっていない。
何が「患者中心の医療」か。