これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/08/18 指導医を刺す (2)

米国では梅毒に対しアモキシシリンを投与することは一般的ではない、という事実を知らなかった点において、件の感染症科重鎮氏は梅毒の勉強が足りなかった。 感染症学の範囲は広範にわたるので、その一部について不勉強であるからといって、重鎮氏が感染症科医師としての素養を欠いているということには、もちろん、ならない。 そもそも学問というものは、上の者が下の者に一方的に伝えるものではなく、相互に教えあい、相互に不足を補いあうものである。 だから、たとえば梅毒の治療法について研修医が指導医に教授する、という場面も、時には、あって然るべきである。

この重鎮氏は、なかなか威圧的で貫禄のある人物なので、少なからぬ研修医や若手医師は、彼の前に出ると縮み上がってしまう。 だからこそ今回は、鬼の首を獲ったように「おや、先生は梅毒について、よくご存じないようですね。ニヤニヤ。」と、 梅毒の治療をを巡る問題につい教えてさしあげることで、彼をギャフンと言わせるチャンスである。 そのためには、こちらも周到に準備して挑まねばならない。 生半可な勉強では、重鎮氏を討ち取るどころか、返り討ちにあいかねない。

この問題については、「世界的にはペニシリン G の筋肉内投与が主流だが、日本では認可されていないので経口ペニシリン系抗菌薬を使う」というような記載が、散見される。 しかし、これはガイドラインなどを表面的になぞっただけの記述であり、全く医学的でない。 そこで私が簡潔にまとめたレポートを、インターネット上の某所にアップロードしておいた。 そのうち Google などの検索にも引っかかるようになるだろうから、興味のある人は読まれるとよい。

要点だけをかいつまんで述べると、以下のような次第である。

ペニシリン G は血中濃度半減期が 30 分程度と短いので、梅毒を効果的に治療するには、いかにしてペニシリン G の血中濃度を維持するか、という点が問題であった (J. Bacteriol. 59, 625-643 (1950).)。 そこで米国では、ひとたび筋肉内投与すればペニシリン G を緩徐に放出することで 1 週間以上にわたりペニシリン G の血中濃度を維持できる製剤 (BPG) が開発された (Bull. Wld Hlth Org. 15, 1087-1096 (1956).)。 しかし、この製剤の筋肉内投与は日本では未だに認可されておらず、通常、臨床的に使うことができない。 さらに臨床的にペニシリン G 抵抗性の梅毒も報告され (Ann. Inst. Pasteur 102, 596-615 (1962). [in French] 【文献取寄中】)、 ペニシリン G に代わる梅毒治療薬の模索は続けられた。

海外では、アンピシリンはペニシリン G と同等に有効で経口投与も可能であると報告された (Minerva Dermatologica 39, (1964). [in Italian] 【文献取寄中】; Minerva Dermatologica 40, 150-153 (1965). [in Italian] 【文献取寄中】) が、アンピシリンの経口投与は血中濃度が安定しにくいという問題があった。 一方、日本ではアモキシシリンはペニシリン G やアンピシリンと同等に有効で、しかも経口投与しても血中濃度が安定しやすいことが報告された。

こうして日本ではアモキシシリンが、低侵襲で効果的な梅毒治療法として普及した。 しかし、米国では既に有効な治療薬として上述の BPG が存在することから、アモキシシリンの使用経験が乏しいため、 「サンフォード」などでは「推奨しない」という扱いになっているようである。

以上のことからわかるように、現代において、早期梅毒の治療にアモキシシリンよりもペニシリン G を選択すべき医学的事情は存在しない。 早期梅毒の治療においては、米国よりも日本の方が先進的であるといえる。


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