これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/08/08 経験すること

医学科の学生や研修医の中には、知識と経験を偏重する者が多い。 自分のことをへりくだって言うときには「知識量が足りない」と表現し、指導医の優秀さを称える時には「知識量が膨大だ」と言うのである。 ほんとうは知識そのものよりも、それを応用する能力の方がずっと重要であるのに、そういう認識を持っていないのである。 医学科の単位認定試験や医師国家試験では、知識だけで押し切れるような出題ばかりが行われており、それに対応するための勉強に専念してきたことの弊害であろう。 同様に、初期臨床研修においては、「どれだけ多くの手技を経験するか」を重視する研修医が少なくない。 これは必ずしも学生や研修医に限ったことではなく、卒後 7, 8 年未満ぐらいの若手医師や、あるいは学問を放棄した熟練医師の中にも、 そうした知識や経験を偏重する者は少なくない。

しかし、大学で指導的な立場にある医師に限れば、そうした知識・経験を偏重する者は少ないように思われる。 研修医が手技の経験を積むことに多大な関心を寄せている現状に対して「本当は、そういうことじゃないんだがねぇ」と苦言を呈する人も少なくない。 ガイドラインや診断基準にこだわることの害悪も、ベテランの指導医陣は、よく理解している

経験を積むこと自体が悪いとは、思わない。 ただし、質の悪い経験を積むぐらいなら、何も積まない方が、いくらかマシである。

たとえば学会での症例報告である。 研修医に、学会、あるいは「地方会」と呼ばれるローカルな会合で症例発表させる指導医は少なくない。経験を積ませてやろう、という「配慮」なのであろう。 もちろん、研修医側が、その症例について充分に理解した上で、責任を持って発表できるのなら、それで良い。 しかし、少なくとも北陸医大 (仮) では、しばしば、自分は実際には担当していない、患者に会ったこともない症例について発表することを命じられる。 これには学術倫理的な問題もあるが、教育としても重大な問題がある。 研修医が、臨床経過を充分に理解しないままに発表する恐れがあるからである。

そもそも並の研修医であれば、自分の担当患者についてですら、診断や治療の経過について充分に理解していないことがある。 「そのように診断した根拠は、何か?」と問われると、たちまち返事に窮し、「上の先生が、そう言ったんだもの」などと意味不明な弁明をするのである。 そういう水準の研修医は、あたりまえであるが、症例報告を発表する資格がない。

さらに、発表の場において、会場からの質問に対して自力で全て回答するだけの用意ができないこともある。 診断や治療の背景に対する理解が乏しく、指導医に「教えられた通りに」発表しているだけだから、教えられていない内容を質問されると、困るのである。 そういう場合に、発表会場では指導医が発表者に代わって質問に答えることもある。しかし、これは極めて恥ずかしいことであると心得るべきである。 質問に自ら回答できない程度の者も、やはり、学会において発表する資格はない。

こういうことを書くと、意識の低い研修医諸君は「初めてなのだから、そんなにできなくても仕方ないではないか。 知識量や経験がまだ足りないのだから、やむをえないではないか。」と言うだろう。 そういう発想だから、諸君は、世間から馬鹿にされるのである。 外の世界をみるが良い。 理学部や工学部を出た連中は、修士課程一年次、つまり諸君でいう医学科 5 年生の頃に、既に、学会等で自力で発表し、自力で回答している。

質問には、何としても自分で回答しなければならない。 発表する以上は、その症例の全てだけでなく、その背景にある問題まで含めて全て理解していなければならない。 そういう覚悟もなしに、生半可な「経験」を積んで勘違いしている研修医は、遺憾ながら、北陸医大にも少なくないようにみえる。


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