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2017/08/06 医者とは

昨日と本日、北陸の初期臨床研修医を対象として、1 泊 2 日のセミナーが開催された。 このセミナーでは、より良い初期臨床研修を実現するために、というようなテーマでのワークショップなどが行われた。 しかし、参加した研修医の多くは、指導医から促されてやむなく参加したものであり、意欲には乏しく、盛り上がりを欠いた。

北陸の指導医には、志の高くない人が多いのではないか、というのが、セミナーに参加した上での私の感想である。 初期研修のあり方を議論する上で、なぜ、厚生労働省が定めた「臨床研修の到達目標」などを気にしなければならないのか。 理想の初期研修を議論した上で、その次に、では到達目標はどうあるべきか、ということを考えるのが筋ではないのか。 指導医のセンセイ方は、お上が定めた「目標」をまず受け入れ、次いで、その実現のための方策を考えようとしている。卑屈である。矮小である。 そんなことだから、我が北陸医大 (仮) は名古屋大学や金沢大学ごときに負けるのである。

そして私が痛感したのは、我々のような病理学や基礎医学、社会医学に進もうとする医師を、臨床のセンセイ方は「医者」と思っていない、という事実である。 彼らの言う「医者」というのは、つまり臨床医のことなのである。 これは病院長のあいさつにも通じるものがある。 初期臨床研修は、「臨床を研修する」ものであって「臨床医のための研修」ではない。 厚生労働省医系技官だろうが、病理医だろうが、初期臨床研修は必要であるとされている。 ところが現行の初期臨床研修制度は、病理学や基礎医学、社会医学、公衆衛生学の分野に進む医師のことを考慮していない。 そして、そのことを指導医のセンセイ方は、何ら疑問に思っていないのである。

二日間の日程で、私はかなり頭にきたので、最後にセンセイ方に対する攻撃を行った。 率直に申し上げて、今日来ていらっしゃる指導医の方々にも、統計学はアヤしいという人が少なくないと思われる。 大学で行われる論文の抄読会などでも、統計解析の部分をキチンと議論している例はみたことがない。 統計の部分は飛ばして結論だけみる、という読み方をしている例が多いのではないか。 しかしそれでは、話にならない。 だから、学生のうちか、せめて初期臨床研修のうちに、きちんと統計を学ぶ機会を確保しなければならない。 というようなことを、述べたのである。 あなた方は臨床医にあらずんば医者にあらず、などと思っているようだが、統計すら読めない程度で何が医者か、という気持ちを込めた攻撃である。 指導医の中にも研修医の中にも、この私の発言に不快をおぼえた者は少なくなかったであろうが、そんなのは、私の知ったことではない。

厚生労働省は、社会のインフラストラクチャーとしての医療を支える労働力の確保に専念しており、明日の医学と医療を開拓することなどは、考えていない。 だから、あのような「臨床研修の到達目標」を作るのである。 それを黙って受け入れて社会の歯車になることを選ぶ医者も必要ではあるだろうが、少なくとも大学の教員はそうであっては、いけない。


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