これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/08/03 上をみろ

研修医の中には、指導医から与えられた任務を遂行することで満足する者が少なくない。 「研修医の仕事」とされた業務をこなし、指導医から褒められることで満足するのである。 この「研修医の仕事」というのは、しばしば、雑用である。 まるで、この雑用が「一人前の医師になるために必要な修業である」かのように思っている者もいるが、 その雑用には、単に病院の非効率的な運営システムを人力でカバーしているだけのものが少なからず含まれているのではないか。

雑用係として病院の運営を縁の下から支えること自体は、悪いことではない。 しかし、それに時間と労力を注ぐあまり、医学的に深い思考と考察を巡らせることを怠り、教科書を開くこともなく、 教えられたとを実践し、指導医のやり方を真似するだけの研修医になっては本末転倒である。 ただ診断基準やガイドラインを盲目的に適用するだけで、医学的妥当性は疑わしい、程度の低い診療を行っていることを認識できていない研修医は、少なくないように思われる。 研修医向けの低俗な雑誌などに、研修医へのインタビューが掲載されることもあるが、彼らの言葉は大抵、浅薄であり、軽い。 自分が病院の診療業務を助けているという実感に満足する研修医もいるようだが、発想が卑しいと言わざるを得ない。

もちろん研修医の中には、こうした現状に疑問を抱き、抗おうとしている者もいるが、そういう研修医に対して理解のある指導医は、遺憾ながら、少ない。 そこで意欲ある研修医の方も「このくらい考察すれば、研修医としては合格だろう。理想的とはいえないが、周囲に比べれば、ずいぶんとマシなはずだ。」などと考え、 妥協しがちになる。 しかし、なぜ、そこで下をみるのか。 他人と自分とを比較するならば、自分より下がいること、自分が及第点に達していることに安堵するのではなく、 自分より上がいること、自分が満点ではないことを悔しく思うべきではないのか。

なお、正直に書くと、私は他の研修医に比べると、たぶん、かなり優遇されている。 指導医の多くは、私に雑用を押しつけないよう配慮してくれているのだと思う。 だから、諸君が私ほどには自由に振る舞えなかったとしても、それは必ずしも、諸君の勇気と能力が私よりも乏しいことを意味しないので、安心してよろしい。

2017.08.28 脱字修正

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