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家族性腺腫性ポリポーシスというのは、生殖細胞系列における FAP 遺伝子の機能喪失変異を基礎として、大腸に多数の腺腫性ポリープが生じる疾患である。 大腸癌が必発であるため、現在のところ、予防的大腸切除が行われることが多い。 なぜ FAP 遺伝子の変異で大腸癌が必発になるのか、といった話の詳細は、本日の話題に直接関係しないので、基礎病理学の教科書を参照されたい。
あたりまえのことであるが、大腸癌を予防する目的で予め大腸を取ってしまう、などという手術は、普通、受けたくない。 そこで、定期的に下部消化管内視鏡検査を行い、その都度ポリープを切除することで大腸癌を防ぐ、という治療戦略が考案された。 家族性腺腫性ポリポーシスにおいては、まず腺腫性ポリープが生じ、その後、さらに遺伝子変異が蓄積することで腺癌に転じる、と考えられている。 そこで、腺腫性ポリープの段階で切除してしまえば、腺癌の発生を予防できる、というのが、この治療戦略の発想なのである。
既に臨床試験も行われており、いまのところ、有効そうである、と報告されている (Endoscopy 48, 51-55 (2016).)。 これは、たいへん意欲的で面白い戦略であるが、この報告には重大な問題があるように思われる。 というのも、径が小さく、内視鏡的に悪性を疑う所見のないポリープについては、組織学的検査を行っていないのである。 これは、径が小さいポリープが悪性であることは稀である、という統計的事実に基づく措置であろう。 この治療戦略においては、一人の患者から数百個、場合によっては千個以上のポリープを切除するのだから、イチイチ全部を組織学的に検査していたら大変である。 そこで、悪性である蓋然性が低いポリープについては、組織学的検査を省略することには、一定の合理性はある。
しかし、あたりまえのことであるが、内視鏡的所見だけでは、腺腫と腺癌を正確に鑑別することは不可能である。 臨床的にも、臨床医が「腺腫である」と思っていたポリープが実は癌であった、などということは、それほど稀ではない。 ましてや、この場合、FAP の生殖細胞系列における変異を基礎としているのだから、普通の大腸ポリープと同じような基準で 内視鏡的に良悪性を判定できるかどうかは、疑わしい。
何より重要なのは、この治療法は、未だ、その妥当性を検証する段階にある、ということである。 もし、一般人の大腸内視鏡検査で小さなポリープがみつかった場合、内視鏡的に悪性を疑う所見がなかったとしても、念のため、普通は病理検査を行う。 内視鏡所見だけでは、悪性である可能性を否定はできないからである。臨床においてすら、そうなのである。 研究段階において、ポリープの良悪性を正確に診断する手間を省くことは、科学的誠実さを欠く態度ではないか。
上述のようなことを、この報告を行った人々は、もちろん、よく理解していたであろう。 おそらく、予算等の制約から、やむなく病理検査を割愛したものと思われる。 しかし、その結果、この研究の医学的価値は、どうなったか。
科学は、徹底的な批判なくしては成立しない。 「こうであってほしい」「たぶん、こうだろう」という憶測は、我々に道を誤らせる。 仮説は徹底的に批判する必要があり、その批判に最後まで耐え抜いた理論のみが、正しいものとして認められるのである。 研究計画の中で、予算や人手の都合から一箇所の手を抜けば、たちまち、研究全体の価値が損われる。 それが学術研究というものである。