これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/07/25 心配しなくても、すぐに 60 歳だ

過日、たまたま病院の食堂で某教授と一緒になった。 その教授は、ちょうど 60 歳であるらしい。 私が 34 歳であると言うと、教授は恐ろしいことを言った。 「なに、心配しなくても、すぐに君も 60 歳になる」

何を馬鹿な、60 歳まで、あと 26 年もあるではないか、と一瞬、思ったが、冷静に考えると、そうではない。 振り返ってみれば、私が医学の世界に足を踏み入れてから、もうすぐ七年になる。 七年間で私が何を成したかといえば、もちろん、何も成していない。 この七年間は、ただ医学を修め、斯界のトップランナー達に近づくためだけの時間であったから、この期間に何らの業績も挙げていないこと自体は、問題ではない。 また、名古屋に移った当初とは異なり、現在ではトップランナー達の姿をはっきりと視界に捉えることができている。 七年間を無為に過ごしてきたわけではないのである。 ただ、時の経つことの存外速いのに、今さらながら驚いたのは事実である。

思えば、私は今まで、一つ所に留まることなく、常に動き続けてきた。 5 年毎の節目でみれば、20 歳は京都の工学部で迎え、25 歳は大阪にある原子炉実験所、 30 歳は名古屋であり、35 歳は、ここ北陸医大 (仮) で迎えるはずである。 40 歳も北陸で迎えるかと思うが、その後は、また、どこか別の地方大学に転出する所存である。京都や名古屋のような「中央」には、戻るまい。 そして北陸医大側に「その気」さえあれば、50 歳ぐらいで、また、この大学に戻りたい。 内科の某医師や、同期で外科の某君らと共に、この大学を日本一の医学教育機関に押し上げるのが、当面の私の野望だからである。 その頃に北陸医大の定年が何歳であるのか、あるいは定年という制度が存続しているのかはわからないが、 65 歳あたりで北陸医大を追い出されたら、その後は海外、インドかベトナムあたりに移り、かの地で野心溢れる若者達を育てる任に就きたいと考えている。

まぁ、みているが良い。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional