これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
北陸医大 (仮) の研修医室に設置されている印刷機の隣に、勉強会の資料のようなものが遺棄されていた。 どうやら、ICU でしばしばみられる譫妄について、基本的な解説を述べた資料のようであった。 研修医の誰かが作った資料だろうか、と思い、さらりと眺めてみたところ、なかなか、よくできた資料であった。 たとえば、譫妄には過活動型だけでなく低活動型もあることや、譫妄に対しハロペリドールで対応することには反対意見も強いことなどが紹介されていた。 これらは現在北陸医大の臨床医の間ではあまり認知されていないのだが、この発表者は、よく勉強しているようである。
一体、誰が作ったのだろうか、と思って最初のページをみると、作者として見覚えのない名前が記されていた。 もしや、と思って検索してみると、案の定、日本大学医学部附属板橋病院の 伊原慎吾助手が作った勉強会資料であった。 たぶん、研修医の誰かが、譫妄について勉強するつもりで印刷したものを置き忘れたのであろう。
伊原助手は、たぶん短い勉強会の時間的制約からであろう、譫妄への対応についてはガイドラインの内容を簡潔に紹介しているのみである。 しかし私は暇な研修医であるから、今年になって最新版が発行された Kaplan & Sadock's Comprehensive Textbook of Psychiatry, 10th Ed. (Wolters Kluwer; 2017). の内容を紹介しよう。
日本においても米国においても、譫妄の患者に対して、いわゆる抗精神病薬が用いられることがある。 しかし、抗精神病薬の添付文書には用途として「譫妄」は挙げられていないし、米国でも FDA は認可しておらず、あくまで off-label で使用されている。 抗精神病薬が譫妄そのものを改善するとは思われないが、暴れる患者をおとなしくさせる役には立つので、便利な薬として臨床的には用いられているのであろう。 Kaplan は、譫妄に対し薬物で対応することについて、次のように述べている。
Strong evidence to support the pharmacologic management of delirium is lacking. Thus, the use of psychoactive medications should be reserved for the management of behaviors associated with delirium that pose a safety risk for the patient and others...
譫妄に対する薬物療法を支持する根拠は存在しない。 従って、抗精神病薬の使用は、譫妄による暴力的行動のために患者自身や周囲の人々の安全が脅かされる場合に限定されるべきである。
しかし現実には、病院によっては「患者が不穏状態になったら、抗精神病薬で対応せよ」と医師が看護師に事前に指示しておくことがある。 不穏状態とは、医学書院『標準精神医学』第 6 版によれば、 「イライラして怒りやすく不快感情が亢進した状態 ... が外的 (表情や行動などの運動面) に表現されたもの」をいう。 このように「不穏」というのは非常に曖昧に定義された言葉である。 それにもかかわらず、医師からの事前の指示に基づいて、患者が不穏状態であると看護師が判断したならば、 医師の直接の診察なしに、抗精神病薬が投与されるのである。 Kaplan が述べるような「患者自身や周囲の人々の安全が脅かされる場合」に該当するかどうかは、考慮されていないことに注意を要する。
普段、ガイドラインだとか診断基準だとかを金科玉条の如くありがたがっている人々が、 なぜ、譫妄に対してだけは安易な抗精神病薬投与を抵抗なく行っているのか、私には理解できない。