これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/07/13 ある教授の見識を見直した話

あたりまえのことであるが、教授という人種が、我々研修医に比べて、必ずしも学識において優れているとは限らない。 教授の方が我々よりも経験豊かであることは間違いないのだが、基礎的な学識においては、時に、我々の方が優れている。 その結果、少なくとも部分的には、我々の方が教授より優れている面があるのは、自然なことである。

正直に書くが、私は、つい先日まで、某教授の見識を少しばかり疑っていた。 論文を量産する能力はあるようだが、医学者としての力量については、いささか疑問を挟む余地がある、と、みていたのである。

過日、ある症例検討会で、その教授と同席した。 その症例では、主たる病変とは別に、低ナトリウム血症を来していた。 血清ナトリウム濃度は 125 mEq/L であるが、尿中ナトリウム濃度は 50 mEq/L 程度、尿浸透圧は 230 mOsm/kg H2O であった。 また、血漿バソプレシン濃度は 0.7 pg/mL であった。

通常、低ナトリウム血症を来すと、バソプレシンの分泌が止まる。 臨床医学の教科書では「バソプレシン濃度は検出感度未満」というような表現をされると思う。 この症例では、125 mEq/L の著明な低ナトリウム血症なのにバソプレシンが分泌されているという時点で、 抗利尿ホルモン不適合分泌症候群 (Syndrome of Inappropriate secretion of ADH; SIADH) と考えられる。 ただし、厚生労働省による SIADH の診断基準は「尿浸透圧が 300 mOsm/kg H2O 以上」という要件が必須とされているため、この症例は診断基準を満足しない。

それにもかかわらず、教授は、血漿バソプレシン濃度 0.7 pg/mL と聞いて「あぁ、では、SIADH だね」と言った。 これをみた私は「この教授は、わかっている」と、みなおしたのである。

SIADH の疾患概念は「ADH が不適切に過剰分泌されることで低ナトリウム血症およびそれに随伴する症候を呈するもの」である。 結果的に、腎集合管における水の再吸収が亢進し、高張尿が排泄されることが多いが、疾患概念としては、高張尿は必須ではない。 ADH の過剰分泌の程度が軽ければ、低張尿が出ても、何の不思議もないのである。 その観点からすれば、厚生労働省の診断基準は、SIADH の病理学的本態を無視しており、不適切である。

凡庸な医者は、安易に「診断基準を満足しないから、SIADH とは言いにくい」などと考える。 しかし本当に医学を修めた人は「診断基準などというものは、参考に過ぎない」として、平然と SIADH の診断を下すことができるのである。

そういえば、昨年度の春、北陸医大 (仮) の某外科の医師は、研修医向けのセミナーで「我々は本当は、ガイドラインなど、くそくらえ、と思っている」と言い放った。 それを聴いた私は「北陸医大に来て良かった」と、安堵したのである。


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