これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/07/11 保守派と革新派

少なくとも私が直接に見聞した限りでは、医学科の学生や若い研修医などの中には、保守的な連中が多い。 私が何か現状を否定するようなことを言うと「それは、そういうものなのだ」「臨床を知らないくせに」などと言い、現状を擁護するのである。 しかし、よく話してみると、実は彼らも現状に満足しているわけではないことがわかる。 では、なぜ、かくも必死に現状を擁護しようと試みるのか。

どうも彼らは、「批判する」という行為を、「和を乱す、邪悪な行為」とみなしているように思われる。 あるいは「指導医の先生方を批判するなど、おこがましい」と思っているのかもしれぬ。 実際、指導医に質問することは推奨される一方、批判されたり反対意見を唱えられたりすると、途端に機嫌が悪くなる指導医は稀ではない。 医学を本当に理解しているのなら、学生や研修医ごときに批判され、反対されようとも、適切な反論ができるはずである。 さらにいえば、生意気な研修医を論破して、ニヤリ、と勝利の笑みを浮かべれば良いのである。 それができないのは、指導医の側の見識が不足しているからである。 そのことが露呈したが故に、彼らは不機嫌になるのであろう。 要するに、人間ができていない、器が小さいのである。

本当に学識のある指導医や教授などは、私ごときが全力で攻撃したところで、ビクともしない。 あるとき、研修医向けのセミナーで某教授が薬の使い方について説明した際、 私は挙手して「先生、それは違うと思います」などと言い、自説を展開した。 しかし教授は動じなかった。整然とした論理を述べ、私を黙らせたのである。 さらに教授はニヤリとして「負けないよ」と言った。 指導医たるものは、こうでなくてはならぬ。

遺憾ながら「権威」とされるものや指導医を批判できる医科学生や研修医は、少ない。 なんとか言い訳して、現状を擁護しようとするのである。 典型的なのが「まだ知識や経験が乏しいから」という弁明であるが、これが論外であることは過去に何度も述べているので、繰り返さない。

こうした、現状に迎合するばかりで、物事を変えようとしない、新しいものを創ろうとしない連中が、医科には多い。 その点について、ある教授は「そういうつまらない連中を相手にする必要はない。本当にわかっている人とだけ、つき合えば良い。」と私にアドバイスしてくれた。 しかし私は、その教授のアドバイスに従うつもりはない。それには 2 つの理由がある。

第一に、医学研究は我々が担えば良いが、臨床医療は彼らのような「批判する勇気のない人々」にも担ってもらわなければならないからである。 彼らを「つまらない連中」と切り捨ててしまい、彼らがそのまま「一人前」の医師として臨床の前線に出てしまえば、臨床医療が崩壊する。 それで被害を受けるのは、彼ら自身ではなく、患者である。 患者に不幸が訪れることを知りつつ放置したとなれば、それは、我々の罪である。 だから我々は、彼らに対し「学ぶとは、どういうことか」を示し続けなければならない。

第二に、彼ら自身も、本当は変わりたいと思っているからである。 彼らも、内心では現状に不満を抱えている。それを表明する勇気がないだけのことなのである。 そういう人々に対し、何らの手もさしのべることなく切り捨ててしまえば、それは教育者ではなく、教授たるにふさわしくない。

もちろん、医科学生や医者の中のごく一部には、本当に精神が腐敗し、どうしようもない連中も存在する。 そういう者は、さすがに私も、相手にしない。


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