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2017/07/10 同意書を入院時に書かせることについて

病院や診療科によっては、いくつかの医療行為の同意書を、入院時点で予め取得しておく例があるらしい。

たとえば造影 CT であるとか、輸血、あるいは中心静脈カテーテル留置であるとかいった医療行為は、侵襲性が高く、頻度は低いが重大な合併症を引き起こすことがある。 従って、多くの病院では、こうした医療行為を行う前に、患者に対し「同意書」への署名を求めるようである。 同意書というのは、この医療行為の意義やリスクについて、キチンと説明を受けて同意しました、という念書のことである。

同意書は、本来、インフォームドコンセントが得られていることを示すための書類である。 しかし現実には、患者は通り一遍の説明を受けただけで、ろくに内容を理解しないままに署名することを求められる例が多いのではないかと思う。 後でじっくりと書類の内容を読み返して怖くなったとしても、同意を撤回することは、普通、できない。 理屈としては、同意はいつでも撤回できるのだが、撤回しようとすれば、医師や看護師が強硬に説得しに来る。 病院によっては「同意を撤回するなら、治療できないから、退院してもらう」ぐらいのことを言われるかもしれない。 もちろん、こういうやり方で得た同意は、インフォームドコンセントではない。 本当に患者の同意を得たことにはならず、法医学の観点からいえば、医療行為の違法性を阻却することができず、医師らは傷害罪などに問われる可能性がある。 しかし現実には「実際にはインフォームドコンセントが与えられていなかった」ことを証明することは困難なので、医師が刑事責任を問われることは稀である。

ただし民事であれば話は別である。 患者が、後から「何も理解しないままに同意書に署名することを求められたので、やむなくサインしただけだ」と言えば、医師側は窮地に立たされる。 「同意書にサインがある」というだけでは、法律上、患者が本当に同意したことの証明にはならないからである。 ただし、今のところ医事訴訟においては「カルテの記載は全て真実である」という仮定がまかり通っているらしいから、 とりあえずカルテに「患者は納得して同意した」などと書いておけば、たとえそれが事実に反していても、裁判では医師側が有利である。 また、少なからぬ人は「署名してしまった以上、その同意書は有効だ」などと勘違いしているので、そもそも、後から同意を撤回して訴訟に持ち込むような患者は少ないであろう。

以上のことからわかるように、同意書というのは、現実には、患者が後から文句を言うのを封じるための道具として用いられているに過ぎない。 本来の役割からは、大きく逸脱しているのである。 それを端的に示しているのが、冒頭で述べたような、同意書を入院時に書かせる、という手口である。

これは、いざという時に医療行為の内容を説明し同意書に署名してもらう手間を省くため、予め同意書にサインさせておく、という発想である。 もちろん、サインさせる際には「実際には、たぶん、やらないと思う」などと説明するので、患者も比較的、気楽にサインする。 で、実際にそれを行う場合には、既に同意書は取得しているのだから、簡潔に説明するだけで実施できる、という寸法である。たいへん、都合が良い。 たとえば輸血を行う必要が緊急に生じた場合、イチイチ説明して同意書にサインをもらう時間はないから、予め入院時点で同意書を取得するのだ、などと主張する医師もいる。

冷静に考えれば、これは、全く、おかしい。 その処置を行うことに本当に緊急性があるのならば、患者の同意は、得なくとも良い。刑法でいうところの緊急避難に該当するからである。 だから、同意書を、入院時などに予め用意しておく必要はなく、本当にそれを実施する必要が生じた時に、記入してもらえば良いのである。 もちろん、行う可能性のある処置について事前に、たとえば入院時点で、「コレコレこういう場合には、中心静脈カテーテルを留置する必要があり、 その際にはカクカクしかじかのリスクがあります」というような説明しておくことは、望ましい。 ただし、それは説明だけで良く、同意書にサインさせる必要は、全くないのである。


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