これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/07/08 口論 (1)

論争、というほど理路整然とした話にはならなかったので、口論、と表現する方が適切であろうと思われる。 過日、私が同期研修医の二人と、夜の研修医室で論じ合った件についてである。 最初は「ワークライフバランス」を巡る雑談であったが、やがて話題は逸れた。 「大学の給料だけでは食っていけない」という、一部の臨床医がしばしば口にする言葉について、 私が攻撃を加えたのに対し、他の二人は擁護にまわる、という形で戦いは始まった。

「大学の給料だけでは生活できない」という言葉が基礎医学研究者や他学部の教員などを激怒させる、という事実を、彼らは、よく理解できないようであった。 これは、彼らの理解力が特に低いということではなく、多くの臨床医や医学科生は、この言葉の何が問題なのか、理解できないのだと思う。 そこで、普通の人からみれば馬鹿馬鹿しい話ではあるのだが、この言葉がなぜ悪いのか、説明しよう。

まず前提として、医者は大学あるいは病院の教職員の中で特に偉い、という事実は存在しないことを認識する必要がある。 これは社会における一般常識なのだが、不思議なことに、多くの医者は勘違いしている。 たとえば、廊下で道を譲られても会釈の一つもしない医者は、多いのである。

話は逸れるが、私は病院内で学生の集団とすれ違う時など、基本的には会釈して道を譲ることにしている。 すると、相手側が知り合いの学生であれば別だが、特に面識のない場合、先方は私に会釈の一つも返さず、目も合わさずに通り過ぎることが稀ではない。 私は人間同士の上下関係というものが嫌いであるが、一応、社会通念上は、研修医は学生よりも上級生であって、場合によっては我々は学生を監督する立場にもなる。 その上級生に対し、会釈どころか一瞥もくれないとは、いかなる了見であるか。 おそらく、彼らは私を非医師の職員と誤認しているのであろう。「上級生が下級生に道を譲る」という状況は、彼らの「常識」では考えにくいからである。 まぁ、そこまでは良い。私も、上級生だからと学生にヘコヘコされるのは、好きではない。 しかし、道を譲ってくれた非医師の職員 (と彼らが認識している相手) に対して会釈もしないというのは、非常識の極みである。

ついでに言えば、病院の清掃員に対しても、多くの医師や学生は非礼な態度で接している。 すなわち、廊下ですれ違う際にも、まるで路傍の石を眺めるが如く、何らの挨拶もしないのである。 清掃員の中には毎朝、我々に「おはようございます」と声をかけてくれる人もいるのだが、それに対しても無反応な者が少なくない。 その結果、清掃員の中には、心の扉を閉ざしてしまった人もいる。 私の方から「おはようございます」と挨拶しても、それが、その清掃員氏に向けたものであるということが直ちには理解できないらしく、返事をしてくれないのである。 そういう人でも、連日、こちらから挨拶すれば、やがて返事をしてくれるようになるのだから、先方の精神が歪んでいるわけではない。

さて、話を元に戻そうと思ったのだが、そろそろ記事が長くなってきたので、続きは次回にしよう。


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