これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/07/04 悪性腫瘍の定義 (1)

私は近藤誠氏に謝らねばならない。 2013 年の記事で、氏が創造した「がんもどき」という言葉を不当に攻撃した件についてである。

現在の病理学において「腫瘍」とは「細胞が外部からの刺激に依存せずに増殖する病変」のことをいう。 これに対し「過形成」とは「細胞が外部からの刺激に反応して増殖する病変」をいう。 また「悪性腫瘍」とは「浸潤あるいは転移する性質を有する腫瘍」をいうのであって、「良性腫瘍」は「浸潤や転移を為さない腫瘍」である。 そして「癌」は「悪性腫瘍」と同義である。 従って、無治療で放置しても死なない癌は「がん」ではなく「がんもどき」である、というような近藤氏の主張は、 医学を無視して素人を扇動するだけのものである、と私は攻撃した。 だが、これは私の見識不足であった。

現代の医学・病理学において、「腫瘍」や「癌」といった言葉が上述のように定義されているのは、事実である。その点では、私は間違っていない。 しかし、こうした定義が不適切である可能性について思慮していなかった点が、私の過失であり、近藤氏よりも劣っていた点である。

「悪性」という語の原義は「性質が悪い」というものであって、医学においては「治りにくい、生命を脅かす」という意味になるだろう。 では、なぜ現代においては「悪性腫瘍」が、転移や浸潤の有無によって定義されるのか。 これは歴史的に、「転移や浸潤を来すが生命を脅かさない腫瘍」の存在がキチンと証明されていないために、 便宜上、「転移や浸潤を来すものは放置すれば生命を脅かす」と仮定されているからに過ぎない。 実際、統計をとれば「転移や浸潤を来す腫瘍」は「転移や浸潤を来さない腫瘍」よりも予後不良なので、これを良悪性の定義に用いることは、あまり問題視されて来なかった。 ただし、これは統計の魔術とでもいうべきものであって、上述のような良悪性の定義を正当化する根拠にはならない。 「転移や浸潤を来すが生命を脅かさない、つまり本来なら良性と分類されるべき浸潤性腫瘍」が存在する可能性を否定できないからである。

実際、生命を脅かさない浸潤性腫瘍は、稀ではない。 特に前立腺癌や甲状腺癌、卵巣癌の中には、そうした腫瘍、死ぬまで宿主に害を及ぼさない、 臨床的には気づかれずに病理解剖で初めて発見される latent 癌と呼ばれるような癌が、高頻度に存在するのである。 これを巡り、週刊「The New England Journal of Medicine」の 2017 年 6 月 8 日号 (N. Engl. J. Med. 376, 2286-2291 (2017).) には `Are Small Breast Cancers Good because They Are Small or Small because They Are Good?' と題する記事が掲載されていた。 これは、乳癌検診が普及したことで、小さな乳癌の発見数は大幅に増加したが、大きな乳癌の発見数は、それほど減少していない、という事実を紹介する記事である。 つまり我々は、乳癌検診によって「放置していても大きくならなかった、つまり問題なかった乳癌」を多数発見し、本来なら不要な治療を実施しているのではないか、というのである。

もちろん、これは「乳癌検診など不要」ということにはならないから、近藤氏の主張が不適切であることには違いない。 だが「悪性だから放置したら大変なことになる、治療すべきだ」という論理も、やはり正しくないのである。


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