これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/09/19 低栄養と血液学的異常 (2)

低栄養状態が造血に与える影響は、Anorexia Nervosa の患者においてよく研究されてきた。 Anorexia Nervosa 患者の骨髄における組織学的変化について最初に報告したのは H. A. Pearson である (J. Pediat. 71, 211-215 (1967).)。 Pearson は、患者の骨髄検体をよく観察し、骨髄低形成に加え、間質に無構造の沈着物の豊富なることを指摘した。 そして PAS 染色やアルシアン青染色の所見から、この沈着物は酸性ムコ多糖であろう、と推定した。 このあたりの特殊染色の話は、月刊「病理と臨床」2017 年 8 月号の「病理組織染色法の基礎講座」で解説されているので、興味のある人は読まれよ。

いわゆる再生不良性貧血では、こうした酸性ムコ多糖の沈着はみられない。 では、これは Anorexia Nervosa に特有なのか。 そのような疑問を抱いた病理学者達は、ホジキンリンパ腫やパーキンソン病などを背景に生じた悪液質 cachekia の患者の骨髄を調べ、 Anorexia Nervosa の場合と同様の酸性ムコ多糖が沈着していることを報告した (Virchows Arch. A Path. Anat. and Histol. 374, 239-247 (1977).)。

こうした骨髄の変化は gelatinous transformation と呼ばれ、その筋では有名らしい。 また、なぜか末梢血中には有棘赤血球がしばしば出現するが、その機序は不明である。 典型的な顕微鏡所見は Int. J. Hematol. 97, 157-158 (2013). などに掲載されている。

骨髄において、なぜ、このような酸性ムコ多糖が沈着するのか。 この沈着が原因となって造血障害が生じる、とする意見がある (Acta Haematol. 100, 88-90 (1998).)。 一方、上述の 1977 年の報告の著者らは、この酸性ムコ多糖の沈着は、脂肪細胞の減少に伴う反応性変化であって、骨髄の構造を支持する効果があるのではないか、と述べている。

理屈としては、酸性ムコ多糖の沈着は造血障害の原因ではなく結果である、とした方が自然である。 原因と考えてしまうと、沈着の機序が謎のまま残るだけでなく、ムコ多糖以外の部分の骨髄も低形成髄様の所見を呈することや、髄外造血が起こらないことを説明できない。 それに対し、栄養不良の状態における造血能低下や脂肪の減少に対する代償性変化である、とするならば、 造血能低下の機序は不明であるものの、ムコ多糖の沈着自体は合理的な生体反応として了解可能なのである。

以上の議論からわかるように、栄養不良によって生じる血液学的変化については、未だよく知られていない。 日本を含め、昨今の先進諸国政府は、いわゆる実学を重視し、こうした「金にならない」分野に研究資源を投入しない方針を明確にしている。 その結果、表面的には多数の「研究成果」が挙げられているものの、実際にはその多くが学術的意義の乏しい空虚な論文であり、 科学を大きく前進せしめるような学問が育たないのである。

これについて、過日、野心に満ちた声が精神医学の分野から発されたのを聞いた。 次回は、その話をしよう。

2017.09.20 誤字修正: 医学→科学

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