これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
あるブルガリア人の原子炉物理学者の話である。
私が彼と出会ったのは、スイスのインターラーケンという街である。 これはスイス南部の二つの湖の間にある街で、ここで 2008 年に開かれた Physor という原子力の国際学会に私は参加した。 この学会のオプショナルツアーとして、若手研究者だけで山の方に遊びに行った。 Physor というのは、米国や西欧の人々が多く参加する学会であって、旧東側の人々は、比較的、少ない。 だからブルガリア人の彼は、かなり目立った。
話は逸れるが、私はロシアのオブニンスクで開かれた国際学会にも参加したことがある。2007 年 10 月のことである。 オブニンスクというのは、モスクワから南西に 100 km ほどの位置にあり、ソ連時代に最初の原子炉が建設された街である。 ここには原子力の単科大学があり、そこで開かれた学会に、修士課程二年次の大学院生として参加したのである。 このオブニンスクでの思い出については、また別の機会に書くことにしよう。
閑話休題、ブルガリア人の話である。 オプショナルツアーの際、何かの流れで、国ごとに順番に自国の歌を唱おう、ということになったらしい。 らしい、というのは、私は誰か別の人と話していたか何かで、その時の全体の動きを把握していなかったからである。 日本で「自国の歌」といえば、まぁ「さくら さくら」か何かを唱っておけば無難である。 ところが、私とは別の日本人参加者が「自国の歌」というのを「国歌」と勘違いしてしまい、私に「君が代を歌えとのことだ」と声をかけた。 私は状況を全く理解しないままに、彼と共に君が代を唱ってしまった。 個人的にはあの歌は嫌いであるから公式の場では歌わないことにしているのだが、あの時は空気を読んだつもりだったのである。 が、我々が唱い終えた後に、事態を察した人がいて、こっそりと我々に近づき「君達は、民謡を唱うべきであった」と忠告した。 この時になって、初めて、私は状況を理解したのである。
さて、ブルガリアの番になった。 ブルガリアからの参加者は彼一人であったので、他の参加者は彼に「さぁ、唱うのだ」と迫った。 しかし彼は「I don't sing. I am a physicist.」などと述べ、拒否した。 周囲は「A physicist sings.」などと迫ったが、彼は頑なに「No, I don't.」と拒み続けたのである。
私は、彼のような人物が大好きである。 世の中には、人脈とゴマ擦りで出世を狙う者が少なくないが、冷静に考えれば、科学者が社交的である必要はない。 頑固なまでに科学者の本分を貫く彼のような人物こそが、本当に科学の未来を担うのである。
ここまで書いて気づいたのだが、このブルガリア人に会ったのは、インターラーケンではなくオブニンスクであったようにも思われる。 まぁ、どちらでも良い。大した問題ではない。