これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
先週から、地域医療研修の一環として、市内の診療所でお世話になっている。 もちろん、何らかの臨床的な技能を磨くためではなく、臨床医療の最前線で何が行われているのかを見学・観察することが主たる目的である。
診療所を見学して驚いたことの一つは、ベンゾジアゼピン依存患者の多さである。 一日に何人かは、ベンゾジアゼピンを長期連用している患者が来るのである。
入院患者に対し、いわゆる睡眠導入剤としてベンゾジアゼピンなどが処方されることは多い。 私は研修医になった当初、下剤や、俗に「眠剤」と呼ばれるこれらの睡眠導入剤が頻回に処方されていることを知り、驚いた。 特にベンゾジアゼピンは、薬理学の教科書には「依存を生じやすいので慎重に使用すべきである」などと記載されているが、 不眠を訴える患者に、かなり気軽に投与されているような印象を受けたのである。
正直にいえば、一年半の研修生活の中で、こうした下剤やベンゾジアゼピン系などの薬剤の使い方に、多少の慣れが生じた。 これらの薬剤を長期連用している患者をみても、それほど強い不快感をおぼえなくなったのである。 しかし、それは適切ではなかった。 無闇にベンゾジアゼピンを処方し続ける医者をみたら、「それは薬物濫用である」と憤慨するのが、医師や薬剤師としての正しい心である。
入院中にベンゾジアゼピン漬けになった患者は、退院する際にも、こうした薬剤を「退院時処方」として与えられることが多い。 その人々が、やがて大学病院を離れて町の診療所に通うようになった時、どうなっているのか。 実は、ベンゾジアゼピンを飲み続けているのである。 入院中にベンゾジアゼピン依存を生じた患者に対し、心ある開業医ならば、減薬を勧める。 しかし患者は、薬を減らすと眠れなくて辛いから、処方してくれと願う。 それに対し、断固として減薬を強く勧めることは難しい。 あまり強く言えば、患者は別の医院に通うようになるだけだからである。
結局、年余にわたりベンゾジアゼピンを飲み続けることになる。 それで健康が保たれるのならまだしも、大抵、倦怠感や眠気などを生じ、日々の生活に支障を来し、それでも薬はやめられないのである。 合法であるという点を除けば、違法薬物の濫用と何ら変わるところはない。我々が、薬物依存患者を作り出しているのである。
こういうことに、多くの医者は、疎い。 若い研修医の中にも「眠れなくて辛いのだから、眠剤を出して休ませてあげるべきでしょ」などと安易に言う者は多い。 もちろん、適切に使う限りはベンゾジアゼピンも悪くはないが、依存を来さないよう、適切な管理を忘れてはならない。そして多くの場合、その適切な管理は、できていない。 研修医諸君は、指導医のやり方を真似して「できている」と錯覚するが、その「指導医のやり方」は、多くの場合、不適切なのである。
なお、非ベンゾジアゼピン系の、いわゆる z-drugs がベンゾジアゼピンより安全である、というようなことを言う者も多い。が、それはキチンとした根拠のある話ではない。 むしろ、濫用の頻度はベンゾジアゼピンより多いのではないか、との意見すらある。
こうしたベンゾジアゼピンを巡る問題に興味のある方は、週刊 The New England Journal of Medicine の 3 月 23 日号に掲載されたレビュー (N. Engl. J. Med 376, 1147-1157 (2017).) を読まれると良い。