これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/10/17 STAP 騒動

いわゆる STAP 細胞について、発表直後の 2013 年 2 月に記事を書いた。 その後、捏造が発覚したために、結局、私は小保方の論文は読んでいない。 この STAP 騒動について、世間の捉え方は、いささか科学的でないように思うので、その点を指摘しておこう。

いわゆる STAP 細胞については、「捏造疑惑」が生じた後に、追試験が行われた。 2014 年 12 月には理化学研究所も追試の結果を発表し、「再現できなかった」と報告した。 当時、世間一般では、この検証結果をもって「STAP 細胞の不存在が確認された」かのような受け止めかたがされた。 しかし、科学界においては、検証を行う前から STAP 細胞の不存在は確認されていた、 さらにいえば理研は検証実験を行うべきではなかった、とする意見が多いのではないかと思われる。

科学者であるためには、何らの肩書も地位も必要はなく、ただ単に、科学に対する誠実さを有していれば充分である。 しかし論文に記載する内容を捏造し、あるいは改竄する者は、いかなる社会的地位を有していたとしても、科学者ではない。 科学者でない者が科学に関する何事かを主張したとしても、それは妄想に過ぎず、我々は、それに耳を貸すべきではない。

小保方は、科学者ではなかった。 話は逸れるが、共著者であり自殺した笹井も、科学者ではなかった。 というのも、笹井は共著者でありながら「データはみていない」などと弁明したからである。 論文の内容に責任を持てないなら共著者になってはならない、というのは科学界の常識である。 現状では、業績を水増ししたり権威付けするために、ほとんど研究に関与していない者が著者に加わることも稀ではないが、これらは全て不正行為である。 騒動の中で追いつめられて自殺した笹井に、同情の余地はない。

小保方が論文に示したデータが改竄されたものであることが明らかになった時点で、科学的には、STAP の存在を信じる根拠は何もなかった。 科学者でない者が、科学的根拠を示すことなしに、妄言を述べているだけに過ぎなくなったのである。 それならば、それは実在しないと推定するのが自然である。 どうして、わざわざ追試を行って検証する必要があるのか。

小保方の主張が正しいかもしれない、と考える個人や団体が、功名を狙って「追試」を行うことは自由である。 しかし科学的には、データ捏造が判明した時点で「STAP 細胞は実在しない」と考えるべきなのであって、 理化学研究所による検証結果を待ってから STAP の存否を判断するべきではない。 理化学研究所も、そんなくだらない実験に追加予算を投入するべきではなかった。

こうしたことは、騒動の当時から一部の研究者らが主張していたようであるが、世間はあまり相手にしなかった。 「もしかしたら、実在するかもしれない」という立場をとるのは、楽である。結果がどうであれ「やっぱり、そうだった」と言えるからである。 これに対し、論理的思考と考察に基づいて未来を予言し、決断することは、勇気がいる。 その勇気こそが科学を推進させるのであって、明日の社会を切り拓くのである。

「存在する『かもしれない』」と、根拠もなしに期待だけで行動する非科学的て軟弱な態度が、この国には蔓延している。


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