これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/10/14 「二重盲検」の罠

過日、地域医療研修の一環として、県内某所の診療所を訪ねた。 そこでたまたま、熟練医師が若手医師に対し、一対一で臨床的な論文の読み方を教える場に同席することができた。 指導医は臨床医学に長じた人物であったが、若手医師の側は未だ経験が浅いらしく、初歩的な内容を詳しく教えていた。 その時に思ったが、口にするタイミングを逃してしまったことを、ここに書き留めておこう。

この時の題材は N. Engl. J. Med. 358, 1887-1898 (2008). であった。 これは、80 歳以上の高齢者を対象に、高血圧症に対する治療介入が予後を改善するかどうかを占った臨床試験の報告である。 `Methods' には、これは randomized, double-blind, placebo-controlled trial であると記載されている。 つまり、プラセボ対照ランダム化二重盲検試験、とのことである。 80 歳以上で収縮期血圧 160 mmHg 以上の患者集団に対し、indapamide またはプラセボを投与し、脳卒中などの頻度が下がるかどうかをみたのである。

言うまでもなく、「二重盲検」というのは、患者にも医者にも、 それが本当の indapamide なのか、それとも薬効のないプラセボなのか、わからないようにして薬を投与した、という意味である。 盲検化する意義は、もちろん、プラセボ効果の影響を除外するためである。 つまり患者が indapamide であると知って薬を飲めば狭義のプラセボ効果を引き起こし、 実際の薬の効果とは無関係に予後を改善する可能性がある。 また、それが indapamide であることを医者が知っていると、治療効果判定の際に、意識的であるか無意識であるかはともかく、不公平な判断を下す恐れがある。 いわゆる観測者バイアスである。 これらの効果が indapamide 群とプラセボ群に等しく生じるようにする、というのが盲検化の目的である。

そんなことは、知っているよ、と、読者の多くは思うであろう。 しかし、違う。諸君の多くは、この「盲検化」の意味を正しく認識していない。 本当の二重盲検であれば、患者も医者も、どうやっても、それが indapamide なのかプラセボなのかを判定できないようになっていなければならない。 この観点からすると、脳卒中などの頻度を判断基準とした臨床試験においては、 一方の群に indapamide を、もう一方の群にはプラセボを、というだけでは、盲検化したことにならない。 なぜならば、indapamide が血圧を下げることは確かなのだから、患者の血圧を測定することで、その投与されている薬が 本当の indapamide なのかプラセボなのかは、容易に判定できてしまうからである。 すなわち、この臨床試験は `double-blind' と称しているが、実際には非盲検である。 本当に盲検化したければ血圧測定を禁止しなければならないが、これはあまり現実的ではない。

他にやりようがないのだから、仕方ないではないか、と言う人は、科学者として、医学者として、失格である。 医師としても、公正で冷静な判断力を欠いており資質に乏しいと言わざるを得ない。

「他にやりようがないから、非盲検試験で判断する」というのなら、構わない。 そもそも「治療介入することが、患者の予後を改善するかどうか」を調べたいのだから、プラセボ効果込みで判断しても、臨床的には問題ないからである。 しかし「他にやりようがないから、本当は非盲検だが、盲検ということにする」というのは、単なる不正行為であり、捏造である。

一部の人々は、この週刊 The New England Journal of Medicine を「トップジャーナル」などと言うが、まぁ、掲載されている論文の質は、この程度なのである。 本当に真剣に誠実に高い水準で科学を論じているとは、到底、いえない。


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