これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
Brugada 症候群については、初回の記事で定義の曖昧さを指摘した。 第二回では心電図所見についての再分極説を紹介し、その論理が不適切であることを述べた。 今回は脱分極障害説を紹介しよう。
この脱分極障害説を最初に唱えたのが誰であるかは知らぬが、2005 年の P. G. Meregalli によるレビューで紹介されている (Cardiovascular Res. 67, 367-378 (2005).)。 これは、何らかの事情により右室流出路の興奮が遅延する、と考えることで Brugada 症候群の心電図を説明しようとするものである。 この領域で興奮が遅延すれば、QRS 群の後半から ST セグメント初期にかけて、心筋梗塞における傷害電流と類似の波形が V2 を中心に生じる。 Brugada 症候群における右脚ブロック様変化や ST 上昇は、これに似ている、と考えれば、これは自然な発想である。
この脱分極障害は、右脚ブロックに比して、興奮の遅延の程度が著しいことを特徴とする。 すなわち、右脚ブロックの場合、完全ブロックであっても、固有心筋を伝わる伝導のために、QRS 群の開始から 140 ms 150 ms のうちには心室全体が興奮する。 従って、心電図上は QRS 幅の延長は認められても、ST セグメントは正常なのである。 しかし Brugada 症候群における脱分極障害においては、最も著明な場合には、右室流出路は最後までキチンと興奮しない。 そのため、ST セグメントを通して傷害電流様の異常電流を生じ続け、心電図上は ST 上昇として観察されるのである。
この脱分極障害説では、心電図所見を矛盾なく説明できる。 また、この興奮障害はリエントリー性不整脈の原因になると考えるのは自然であるから、Brugada 症候群で時に致死的不整脈が生じることをも説明できる。 ただし、なぜ、右室流出路に限局して興奮障害が起こるのか、という点は曖昧であった。
この点に一つの回答を与えたのが M. V. Elizari らである (Heart Rhythm 4, 359-365 (2007).)。 Elizari らは、右室流出路には神経堤由来細胞が存在しコネキシンの形成に関係していることを指摘し、これが Brugada 症候群と関係しているのではないかと述べた。
現時点において、脱分極障害説は理論的に最も整合性のある説明であるが、これが Brugada 症候群の機序であることを示す直接的な証拠は存在しない。 しかし、こうした脱分極の障害がなければ、あのような QRS 波形や ST 変化、さらには T 波の陰性化を、論理的整合性をもって説明することはできない。
臨床医の中には「理論的」という言葉を「現実とは異なる」というような意味で用いる者がいるが、それは科学的でない。 理論なき経験則は、疑われなければならない。 理論が観測事実と矛盾するなら、その理論が間違っているだけなのである。 適切な理論を組み立てることで未来を予言するのが科学者であって、それを医療において行うのが医学者であり、医師である。