これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/10/08 続・リハビリテーション

キチンとした病院であれば、高齢の肺炎患者であっても、全身を衰弱させることなく、キチンと自宅に退院させている。 リハビリテーションをキチンとやっていれば、たとえ入院しても、筋力の低下を最低限に留めることができるのである。 それを初めから諦めて、長期安静臥床させて車椅子生活を強いては、何のための入院だか、わからない。 患者は、病気を治すために入院しているのではなく、健康を回復するために入院しているのである。 病気は治ったが車椅子になりました、では、意味がわからない。 が、遺憾なことに、現在の日本においては「キチンとした病院」は少数派であるように思われる。

これほどリハビリテーションが軽視されている現状については、厚生労働省の責任が重い。 なにしろ、医師国家試験では、リハビリテーション医学の分野からほとんど出題されないのである。 結果、多くの学生はリハビリテーション医学を学ばなくなる。 せいぜい、「国試頻出」の、介護保険制度上の事項などをチラリとアンチョコ本で「勉強」する程度である。 それでいて「全身を診る」「全人的医療」などと言っているのだから、滑稽である。

もちろん根本的には、個々の医師や医科学生の資質の問題である。 そもそも、国家試験対策の勉強しかしない、という態度が、おかしいのである。 また自分が専門とする分野以外のことに対する極端な興味・関心の低さも問題である。 結局のところ、医学にも医療にも関心がない状態で医学科に入り、医師になっている現状がまずいのである。

さらにいえば、現在の保険診療制度の下では、こうしたリハビリテーションは、病院にとっては金にならない。 歩ける状態で退院させようが、車椅子に乗せて退院させようが、病院に入る金は基本的には一緒なのである。 「全国どこでも同じような医療が受けられる」というのを保険診療制度の利点として挙げる人がいるが、それは嘘である。 むしろ、医者が保険点数ばかり気にするようになって、診療の質は低下しているのではないか。 何より、そうした議論が臨床医の間ではほとんど起こっていないことが、日本の医療業界の問題である。 米国の週刊誌 the New England Journal of Medicine などをみると、医療制度改革を巡る臨床医同士の活発な議論が誌上で展開されている。 米国の医療制度は悲惨なものであるが、しかし彼らは、それを何とかしよう、という意志は持っているのである。

日本の臨床医、特に若い研修医などは、この点においても水準が著しく低い。 社会医学、公衆衛生学などに興味が全くないのである。 医療制度について何か意見を述べると「医系技官になると良いのではないか」などと言われることが稀ではない。 そういう制度を論じるのは官僚の仕事であって、臨床医の仕事ではない、と思っているのであろう。

諸君は、一体、何のために医師になったのか。金か。それとも社会からの賞賛か。


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