これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は、病理学者である。名古屋大学の某病理学教授が言うように、病理学者の本分は、疾患概念を構築し、分類を行うことにある。 従って我々は、各々の症例を、既存の分類に当てはめて診断することに専念しては、ならぬ。それは本来、人間ではなく、機械が行うべき仕事に過ぎないからである。
月刊「病理と臨床」という雑誌がある。これは、主に病理診断医を読者として想定した雑誌のようであり、学術的な内容よりも、診断業務に特化した記事が多い。 この雑誌を読んでいると、しばしば、気になる表現がある。 日本語の乱れも多いのだが、何より問題なのは「○○があるかどうかで分類が違ってくるので、注意が必要である」というような記載である。 たとえば粘膜下層への浸潤を伴う大腸癌の場合、浸潤距離が 1,000 μm 未満であれば pT1a と分類されるが、1,000 μm 以上であれば pT1b となる、といった具合である。 pT1a であればリンパ節転移が存在することは稀であるから、両者の違いは臨床的に重要である、と、される。
しかし冷静に考えれば、950 μm と 1,050 μm の間に、病理学的に歴然とした差があるとは思われない。 他の諸問題も同様で、ある cutoff 値を基準に何かと何かの分類を大きく変えることは、一般に、合理的ではない。 「浸潤距離が ○○ 以上かどうかで予後が分かれる」などという cutoff は、医学的には、ありえないのである。 ガイドライン等に cutoff が記載されていることは少なくないが、これは単に、そういう研究報告が過去にあった、というだけのことに過ぎず、 医学的、病理学的な事実を表しているわけではない。 そのあたりについて、多少の違和感は大抵の医師が抱いているのだろうが、あまり深く考えずにガイドラインや診断基準に盲従している者も少なくないであろう。 特に、思慮の浅い学生や研修医などの若い医者が、思考を停止して cutoff を信奉している例は多いように思われる。
そういう話をすると、「じゃぁ、どうすれば良いんだよ」「臨床的には仕方ないだろ」などと言う研修医は、少なくない。 諸君は、一体、これまで、何を勉強してきたのか。 どうすれば良いのか、臨床的にどう対応するべきなのか、それを考えるのが、医師の仕事である。 教えられた通りにやるだけなら、看護師と技師がいれば充分である。 なにより、技師や看護師は、そのことを、よく知っている。 あまり口には出さないが、「決められたことやるだけなら、我々だけでできる、医者なんか、いらない」と、彼らは思っているのである。
閑話休題、以前にも何度か書いたが、分類というのは、天与のものではなく、むろん、絶対でもない。 我々が便宜のために用いているに過ぎぬ。 それを、忘れてはならない。