これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
正確にいえば「医学部」ではなく「医学科」なのだが、元の記事が「医学部」としているので、それに合わせる。 文春オンラインで扱われた、医学部あるいは医師についての特集についてである。 こういう低俗な娯楽雑誌の記事にイチイチ反応するつもりはないが、元記事がそれなりに面白かったので、取り上げよう。
特集は全部で 5 回から成っており、第 1 回では「東大より難しい! 過熱する医学部受験ブームの異常さ」、 第 2 回は「東大医師の 3 人に 1 人は医師不適格者?」、 第 3 回は「これが医学部大量留年の驚くべき実態だ」、 第 4 回「東大、慶應も凋落の衝撃 医学部ヒエラルキーの崩壊」、 第 5 回「今、医学部はどんな学生に来てほしいと思っているのか」、としている。
内容の大筋には、文句はない。だいたい合っていると思う。 ただ、少し違う、大事なところを射貫いていない、という印象を受けた。
たとえば、第 5 回の冒頭に
「医者はそんなに頭がよくなくてもできる」
この言葉を、当の医師たちから何度聞いたことでしょう。
実際には、かなり頭がよくないと医師は絶対に務まりません。
(中略)
つまり、医師として働くならば、受験偏差値でトップを獲るほどの頭脳よりも、もっと違う資質が必要だということです。
とある。要するに、この記事では、人柄、あるいは人格とでもいうべきものが重要だ、というような論調なのである。
そのこと自体に異論はない。が、少し、違う。 キチンとした医師であるためには、優れた頭脳は、不可欠である。 ただし、それは「試験で優秀な成績を修める」という意味ではなく、本当に医学を修め、学問を身につける、という意味での「優れた頭脳」である。 それができないと、ただマニュアルとガイドラインに従うだけの、低質な医者にしかならない。 そして、学問というのは、誰でも頑張ればできるというものではなく、ある種の資質は、必要なのである。 幸いなことに、純粋自然科学における「優秀さ」と、人文科学における「優秀さ」が異なるのと同様に、医学における「優秀さ」もまた別の方向を向いているように思われるので、 「優秀な人材」を自然科学や人文科学と医学の間で奪い合う必要はなく、適材適所によって社会全体が利益を得ることができよう。
なお、上述の「医者はそんなに頭がよくなくてもできる」というような言葉は、私も使うことがある。 これは、「現在の医者の多くは、その程度の低水準な医療しか行っていない」という意味である。
ところで、第 3 回では医学部教育は内容が多くて大変だ、というような論調で「医学部ではあまり遊ぶ余裕はありません」としているが、むろん、これは事実に反する。 少なくとも名古屋大学あたりでは、6 年間、さんざん遊び呆けた上で、医師国家試験対策を少しだけ講じて悠々と医師免許を奪取する連中が多い。 それを、必死に勉強しなければ合格できないのであるならば、何らかの資質が乏しいと言わざるをえない。 そういう人々に対する教育、指導の体制は乏しい、というのが日本の多くの医学科の現状ではないか。問題とすべきは、そこであろう。