これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は、4 月から正式に北陸医大 (仮) 附属病院の病理部員になる。 それと入れ替わりに、一人のベテラン病理医が北陸医大を退職し、他院に移る。 世代交代であるが、無論、一時的には戦力低下である。
先月からの病理部研修では、一部の症例について、まず私が病理診断報告書を書き、その後に指導医が確認して、必要に応じて修正する、という方式が採られている。 癌の症例については、癌取扱い規約の推奨する項目を報告書に記載することが基本である。 取扱い規約では、組織型の分類などが定められているが、かなり曖昧な表現であることが多く、実務上は、各病理医の経験や慣習によって分類される部分もある。 とはいえ、こうした分類は、医師間の共通言語のようなものであるから、診断者間で大きく相違があっては具合が悪い。 そこで、なるべく、他の病理医と同じように基準で分類することが求められるのである。
その退職するベテラン病理医から言われた言葉が、印象的であった。 「こういう分類というのは、あまり学術的ではないけどね。」というのである。
この規約に従う分類というのは、実務上は、「他人がそうしているから、そうする」という程度のことであって、臨床上は便利かもしれないが、確かに、学問的ではない。 そもそも、あと 10 年、20 年もすれば、病理医ではなくコンピューターが行うようになるであろう仕事である。 工学部的な発想でいえば、人間がやるべき仕事では、ないのである。 コンピューター技術の乏しかった時代の病理医であればともかく、次代の病理医である我々は、この種の技能を研くことに専念するべきではない。
そこで思い起こされるのが、名古屋の某教授のあなたが悪性と思うなら、悪性と言って良いでしょうという言葉である。 病理学者というのは、疾患を既存の枠組に従って分類する作業を行う者をいうのではなく、疾患概念を構築する者をいうのである。
そのために我々は、「神眼」の獲得を志して修練を重ねているのである。 いかなる場合であれ「診断基準でそうなっているから」「ガイドラインに、そう書いてあるから」というような言い訳は、してはならぬ。