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医学科の高学年生であれば、印環細胞癌、という言葉を知っているだろう。 これは胃癌などでみられる組織型の一つであって、低分化腺癌の一型である。
印環、というのは、現代ではあまりみかけないが、指輪型の印章のことである。 印環細胞癌の細胞は、粘液などを産生する性質を保っている一方、周囲の細胞との接着性は損なわれ、正常な腺細胞の形態を保つことができず、 結果として丸くなっていると考えられている。 細胞質には豊富な粘液が蓄えられ、核が細胞の辺縁に押しやられている姿が、印環に似ているのである。
では、この印環細胞の出現は印環細胞癌における特異的な現象なのか、というと、そうではない。 消化管の炎症性疾患などでも、印環細胞が観察されることはある。 そうした非腫瘍性の印環細胞の出現は、Signet-Ring Cell Change と呼ばれ、さらに SRCC と略されることもある。 ただし、この略語は印環細胞癌 Signet-Ring Cell Carinoma と紛らわしい。 両者を区別するために、印環細胞癌を敢えて印環細胞腺癌 Signet-Ring Cell Adenocarcinoma と呼ぶこともある。
Signet-Ring Cell Change については、2000 年代に病理学者達の興味を惹いたようである。 病理医必携の組織学の教科書といえば Mills SE, Histology for Pathologists, 4th Ed. (LWW; 2012). であるが、 この Stacy E. Mills は Am. J. Clin. Pathol. 115, 249-255 (2001). で子宮内膜の Signet-Ring Cell Change を紹介した。 また、病理診断学の聖典である Goldblum JR et al., Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 11th Ed. (Elsevier; 2018). の J. Rosai も Hum. Pathol. 40, 326-331 (2009). で、胆嚢や子宮頸部の Signet-Ring Cell Change を紹介している。 これらをふまえたレビューとしては Ann. Diagn. Pathol. 15, 490-496 (2011). が簡潔で読みやすい。
なぜ、こうした炎症性病変で印環細胞が生じるのかは、よくわからない。 上皮細胞が炎症により障害を来し、剥離する過程で接着性を喪い丸くなるのではないか、ともいわれているが、 通常は剥離した上皮細胞も印環細胞様の形態変化は示さないのだから、説明としては不充分である。
以前、膵臓の穿刺吸引生検の標本において、印環細胞様の細胞が、一見正常な膵外分泌腺組織中に散在しているのをみたことがある。 厳密に調べたわけではないから、血管が、そのようにみえただけかもしれぬ。 しかし、穿刺吸引生検で組織が挫滅する過程で、一部の腺細胞がそのような形態変化を来すということも、充分に考えられる。
以後、注意して観察したい。