これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/02/06 医師薄給説

医師薄給説を唱える医師の少なくないことは、過去に何度も書いた。 私は、彼らが何を根拠に、そのような考えを持つに至ったのか、なかなか理解できなかった。 しかし北陸医大 (仮) に来て、一部の研修医や若手、そしてベテランの医師と給与問題について話すうちに、概ね把握できたように思うので、ここに記しておく。

彼らは、自分達の給与を、同等の「エリート群」と比較して「高くない」と述べているのである。 エリート群というのは、つまり高校時代に抜群に成績が良く、いわゆる名門大学に行って、その後も輝かしい出世街道を歩んでいる人々である。 外資系企業や大手商社などで激しい競争を勝ち抜いている人々に比べれば、確かに我々の給料は、それほど多いとはいえないであろう。

読者の中には、おや、と思った人も少なくないはずである。 高校時代に抜群の成績を誇り、京都大学理学部などに入り、大学院に進み、博士となったような人々は、紛れもなく学歴エリートである。 が、そういう人々は経済的には優遇されないのが現在の日本社会である。 彼らに比べれば、我々の給料は、抜群に高い。 そう考えると、エリート群の中で医師の給料は、割と高いのではないか、と思われる。

この点を医師薄給説の論者に対して述べてみたところ、次のような反応であった。 研究の道に進むような人は別だ。 彼らは、それは、厳しい世界だろう。 まぁ、現在のように厳しい社会、経済情勢においては、特に基礎研究などに回す金が少なくなるのは、仕方あるまい。

何も、わかっていない。 厳しい社会情勢、経済状況だからこそ、基礎科学に投資しなければならないのである。 日本の例でいえば、かつて戦争中から戦後にかけて、国に物資も人材も欠乏する状況において、どう考えても戦争にも国民生活にも役立たない「層電対説」などの研究を遂行した 前川教授のような人々がいたからこそ、戦後日本に科学技術が再興し、今日に至る発展がある。 目先の利益を求め、高齢者を死なせない技術にばかり資源を投入する社会に、未来のあろうはずがない。

話を戻す。 医師を、外資系で働く企業戦士と比較して給料の多寡を論じるのも、的外れである。 彼らは、学生時代から、稼ぐための技を研き、他者との差別化を図り、そして今なお研鑽を続け戦い抜いている人々である。 それに対し我々医師は、高校時代には学業成績のエリートであったかもしれないが、大学入学後は、敷かれたレールの上を漫然と走ってきたに過ぎない。 18 歳を過ぎてからの研鑽について、彼我に雲泥の差がある。 それにもかかわらず、我々は企業戦士に比肩するほどの給料を貰っているのだから、医師の給料は高すぎるといえよう。

ひょっとすると、これは高校時代の環境が影響しているかもしれない。 我が母校は違うが、一部の「進学校」では、成績優秀な層の医学部志向が強いと聞く。 さらに世の中には、稼いだ金の量で人の優劣を規定しようとする勢力があるらしい。全く、馬鹿げたことである。 しかし、そういう環境で育った場合、医学科に進む、つまり医師になるということは、優秀であることの証左であって、高い給料をもらって当然だ、という論理になるのかもしれぬ。


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