これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/31 優生保護法

かつて日本には、優生保護法という法律があった。これは悪法であった、という点について異論のある人は少ないであろう。 これは、非科学的な優生思想を基礎とする法律であって、その不合理な部分を削除して新たに制定されたのが、現行の母体保護法である。 この優生保護法では、精神障害者に対し、本人の同意がなくても不妊手術を施行することなどを認めていた。 また、法は術式について卵管結紮などに限定していたにもかかわらず、実際には卵巣摘出などが不法に行われていたらしい。 この法律を根拠として強制的に不妊手術を受けさせられた女性が、国に対し損害賠償を求める訴訟を起こした、 と朝日新聞などが報じている。 この問題について朝日は複数の記事を掲載しているが、基本的には、この強制手術は重大な人権侵害であった、という主張を軸としている。 私は、報道機関は公正な事実の伝達に徹するべきであって、特定の政治的、社会的主張を前面に出すべきではなく、偏向の著しい朝日の姿勢は不適切であると考える。

無論、この不妊手術は人権侵害であり、違憲であり、放置されざるべき問題である。 しかし法医学的見地からは、これは、朝日が主張するよりも、もう少し複雑な問題である。

まず第一に、精神疾患に遺伝的素因があることは、疫学的に知られている。 だから、優生保護法は全く科学的根拠なしに強制手術を許していたわけではない、という点は認めなければならない。

次に、優生思想についてである。 昭和 23 年に制定された優生保護法の第 1 条は 「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する (中略) ことを目的とする。」としている。 すなわち、精神障害者は「不良な子孫」であって、その出生は予防されるべきである、というのがこの法律の基本理念である。

この優生思想自体を批判し、優生思想に基づく不妊手術や人工妊娠中絶を批判する人は少なくないであろう。 しかし、その考え方は、現在の日本社会においては、広く受け入れられてはいない。 「優生思想」という表現は避けられているが、そうした考え方は、むしろ広く認められているのである。 たとえば高齢出産の場合に、染色体異常を懸念し、出生前診断を行う人は少なくないし、是非はともかく、その心情は多くの人が理解するであろう。 もちろん、これは不法な堕胎と表裏一体であるが、それは別の問題である。 また、癌がほぼ必発する Li Fraumeni 症候群や家族性大腸ポリポーシスの患者などの場合、 着床前診断によって、疾患が子に遺伝することを防ぐ、という対応は現実に行われている。 これらは、紛れもなく優生思想であるが、特に後者のような着床前診断については、批判する人は多くないであろう。 従って、優生思想そのものを攻撃の的とすることは、的を外している。

では、本人の意思に反して不妊手術を行ったことは、どうか。 これが違憲で不法な措置であることは確かであるが、だからダメだ、と単純には言えないところに難しさがある。 以前に書いたように、精神保健福祉法は、明確な憲法上の根拠なしに、 本人の意思に反した強制入院である医療保護入院を認めている。 これは、他者を害する恐れのある者を強制入院させる措置入院とは異なり、専ら本人のためを思って入院させるものである。 しかし、本人は入院を拒否しているのを無理矢理に入院させるのだから、身体の自由の侵害であって、理屈としては違憲である。 すなわち、人権侵害だ、というだけの理由で優生保護法による強制手術を批判するのであれば、 現在行われている医療保護入院も、同様に批判されるべきである。

私自身は、優生思想そのものを否定しようとは思わない。 Li Fraumeni 症候群の患者には、それが子に遺伝することを防ぐために必要な科学的措置を受ける権利が認められるべきである。 しかし優生保護法は、人権侵害であるという点において違憲であり、認められないと考える。 同様に、現在の精神保健福祉法も違憲であって、医療保護入院の制度は廃止されるべきである。

諸君は、いかがお考えか。


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