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2018/03/26 診断者間の一致率

病理診断学の分野においても、診断基準、というものはある。 大抵、組織学的に○○の所見があれば△△と診断する、というようなものである。 ところが、同じ診断基準を用いたとしても、病理医によって判断が異なることは珍しくない。 そのためであろう、月刊「病理と臨床」の記事などでは「診断者間の一致率」に言及されることが少なくない。

たとえば、コイロサイトーシス、という現象がある。 子宮頸部においてヒトパピローマウイルス感染がある場合などに、ウイルス由来蛋白質が細胞内に多量に蓄積し、 ヘマトキシリン - エオジン染色の標本において、核周囲に空胞が形成されてみえる現象のことである。 と、いう知識は、医学科で病理学の基礎を修めた学生であれば、誰でも知っている。 ところが、実際の標本をみて、「これはコイロサイトーシスか?」と議論すると、驚くほどに、見解が一致しない。 というのも、核周囲の空胞自体は、ヒトパピローマウイルス感染がなくとも生じることがあるからである。 そのため、コイロサイトーシスと診断するためには、核異型がなければならぬ、など細々したことが教科書等には記載されているのだが、 何をもって核異型と判断するか、などには客観的基準がないため、病理医間でも判断が分かれるのである。

ここまでは理解できるのだが、そこから先が、わからない。 雑誌などでは、あたかも「診断者間の一致率が高い診断基準ほど、優れている」というような前提で記事が書かれていることが多いようである。 しかし、その考えが正しいとは思われない。

素人は、「病理医によって判断が分かれるようでは、その病理診断を信じて良いのかどうか、わからなくて、困る。」と言うかもしれぬ。 その気持ちは分からぬでもない。 しかし、精度の低い診断で一致するのでは意味がない。次のような例を考えていただきたい。

「核周囲に空胞があるものは、核異型などの有無に関係なく、コイロサイトーシスと判断する」という基準を作れば、 コイロサイトーシスについての診断者間の一致率は高くなるであろう。 だからといって、核異型の有無を考慮しないのが適切であるとは、むろん、いえないのである。

臨床試験などの結果を根拠に、細かく分類することを否定しようとする動きも、一部にはみられる。 たとえば大腸腺腫は、低異型度腺腫と高異型度腺腫に分類するのが通例であるが、これは診断者間の一致率が非常に低い。 また、患者の予後について臨床試験を行っても、たぶん、両者で明確な差は認められないだろう。 では、両者を区別することは、意味がないのだろうか。

注意すべきは、臨床試験では、二群の差が統計誤差に比して有意に大きいかどうかに注目されることが多い、という点である。 つまり、統計誤差が大きい場合には「はっきりした差はない」という結論が導かれやすいのである。 診断者間の一致率が低い低異型度腺腫と高異型度腺腫の場合は、診断のブレによる誤差が大きくなるので、結果として、「有意な差」は認められにくい。 そのことを考えると、臨床試験の結果をもって「両者を区別することには臨床的意義がない」と判断するのは、いささか危険である。

だいたい諸君は、「皆が同じように診断する」ということに不気味さを感じず、不安をおぼえないのか。 それは、優秀な病理医と、程度の低い病理医との差がない、ということである。 病理診断というのは、そのような、誰がやっても同じになるような単純作業なのか。


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