これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/28 解剖の承諾

昨日の記事の続きである。 もっと病理解剖すべきだ、などと言うと、特に若い臨床医などは、遺族は解剖されたくないと思っていることが多い、などと述べて抵抗する。 が、それは、説明の仕方が悪いのである。 「解剖すれば死因が詳しくわかる」というような説明であれば、それで死者が蘇えるわけではない以上、もう体を傷つけたくない、解剖は結構だ、と反応するのは当然である。 しかし病理解剖は、その個人の死因を究明することだけのために行うわけでない。 その患者で何が起こったのかを詳らかにすることで医学の発展をもたらし、未来の患者を助ける、という目的がある。 患者や遺族に対しては、この点をしっかりと説明しなければならぬ。

解剖によって、医学は発展し、未来の患者を助けることができる。 それをしっかりと説明したならば、「お世話になった先生方が、そうおっしゃるのなら」と解剖を承諾してくれる患者や遺族は、少なくないと聞く。 そういう姿勢で患者と遺族に接し、そういう期待に応えられるだけの病理解剖を実施することが、医師の責任である。

私自身のことでいえば、私が死亡した後は、若い病理医か研修医に病理解剖してもらいたいと思っている。 ベテラン病理医に切られるのでは、つまらない。ぜひ学生も見学に加わってほしい。 できれば、どこかの大学で病理学教授として在任中に死亡し、その大学で解剖されるのが望ましい。 病理学教授の最終講義、というわけである。 実に愉快ではないか。

2018.02.13 語句修正

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