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2018/01/26 トラネキサム酸

トラネキサム酸というのは、抗プラスミン薬である。 いわゆる止血薬として用いられることがあるが、むろん、不適切に使用すれば血栓形成を促すことになり、生命を脅かす。

問題は、トラネキサム酸の抗アレルギー薬、あるいは抗炎症薬としての用法である。 医師の中には、口内炎などに対しトラネキサム酸を投与する者がいるらしいのである。 しかし、少なくとも私が勉強した範囲では、トラネキサム酸のそのような用法を正当化する医学的根拠は存在しない。

日本においては、トラネキサム酸の添付文書に抗アレルギー薬あるいは抗炎症薬としての用法が記載されており、 「効能又は効果」の欄に「口内炎」などが挙げられているのは事実である。 しかし、炎症に対し抗プラスミン薬を投与する、という行為に疑問を抱かない医者がいるとすれば、その者は薬理学を修めなかったのであろう。 遺憾なことに北陸医大 (仮) でも、以前、若い医師が研修医に対し自慢気に「トラネキサム酸は血管を収縮させる薬であって、口内炎などにも効果がある」 と語っているのをみたことがある。

1960 年代後半から 1970 年代にかけての日本では、プラスミンと炎症の関係に注目した一部の医学者が、これを積極的に研究した。 ただし、これらの研究には抗プラスミン薬を販売していた第一製薬が深く関わっていたようである。 現代でも製薬会社と医学関係者の間には不適切な関係が多いが、当時は、今とは比較にならないほど親密な関係にあったであろう。 従って、これらの研究の成果を素直に信じることは危険である。 それを念頭に置いた上で、プラスミンについての研究成果を簡潔に紹介すると、以下のような具合である。

岡山大学の山田らは、プラスミンが血管透過性を亢進させるらしいことを電子顕微鏡的に確認した (プラスミン研究会報告集 14, 364-366 (1974).)。 この血管透過性の亢進は、どうやらアレルギーやアナフィラキシー、あるいは炎症のメディエーターの活性化を促すようである (アレルギー 15, 755-763 (1966).)。 従って、抗プラスミン薬には、臨床的有用性はともかく、抗アレルギー作用や抗炎症作用もあることが予想される。 これをラットで確認したのが岡山大学の山崎らである (日本薬理学雑誌 63, 560-571 (1967).)。 ただし、トラネキサム酸とアミノカプロン酸では、抗線溶作用は前者の方がかなり強いのに、抗アレルギー作用では大きな差はみられなかった。 プラスミンの線溶活性と炎症誘発作用とは、機序が異なるのであろう。

典型的には、炎症があれば凝固系は亢進している。 そこで炎症に伴う浮腫を改善する目的で抗プラスミン薬を投与すると、線溶系が抑制されるのだから、血栓形成がますます亢進することになる。 また、抗アレルギー薬として使うのであれば、トラネキサム酸よりもアミノカプロン酸の方が望ましいのは上述の通りである。 これらを理解した上で、彼らは、抗アレルギー薬または抗炎症薬としてトラネキサム酸を投与しているのだろうか。

なお、トラネキサム酸製剤のインタビューフォームによれば、米国や英国ではトラネキサム酸は専ら抗プラスミン薬として扱われ、 抗アレルギー薬あるいは抗炎症薬としては通常、用いられないらしい。 薬理学的に考えて、当然である。

薬の作用機序を考えずに、添付文書やマニュアル本だけを読んで処方する医者は、藪医者との謗りを免れ得ぬ。


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