これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/24 志について

諸君は、高い志を、持っているか。 「志」という語は、「野心」と置き換えても良い。

野心というのは、出世欲、という意味ではない。 大事を成さんとする気概のことをいう。 有名になる必要はない。一人の医師として、市井の人々の健康を支える人生も良かろう。それは大切なことである。 しかし、そういう人生を送るにしても、志は胸に抱き続けるべきである。

北陸医大 (仮) に来て二年が経つが、この大学に対しては一つ、大きな不満がある。権威と呼ばれるものに対し、卑屈な人が多すぎるのである。 教科書の記述を批判し、ガイドラインをなじるような学生や研修医には、ほとんど出会わない。 正しい診療のやり方を教えてもらおう、指導医のやり方を学ぼう、という姿勢はあっても、自分が先頭を進もう、という気概は乏しいのである。

根本的な考え方の問題である。 私は、自分が世界一の病理医、世界一の病理学者であると信じている。 正確にいえば、経験の差を考慮して評価すれば世界一なのであって、「いずれ世界一になる」というのと同じ意味である。 これは、私のウヌボレが特に強いということではない。 京都大学あたりで教授をやっているような連中であれば、例外なく、私と同様に自分が世界一だと信じているはずである。

私が学生時代、同級生の某君から米国 Johns Hopkins University における病理医のあり方を聴いて勇気付けられたことは前に書いた。 Johns Hopkins の病理診断のあり方は、正しい。正しいのだが、実現が容易ではないため、日本では、ほとんど実践されていない。 しかし Johns Hopkins の連中が正しい病理診断を遂行しているなら、世界一の病理医である私は、それ以上に理想的な病理診断を行わなければ恥ずかしい。 そう考えると、「病理医の数が足りないから」「臨床医の理解が乏しいから」「雑用が多いから」などという言い訳は、できようはずがない。 そんなのは、世界一の病理医が口にする言葉ではない。

志というのは、そういうことである。


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