これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
Inflammatory Fibroid Polyp (IFP) と呼ばれる疾患がある。日本語で何と呼ぶのかは知らぬ。 一応、医学書院『医学大辞典 第 2 版』では「炎症性線維性ポリープ」という訳を当てている。 朝倉書店『内科学 第 11 版』にも英語の名称は記載されているので、よく勉強した学生なら知っているかもしれぬ。
これは、胃幽門腺近傍に好発する隆起性病変、つまりポリープであって、組織学的には繊維芽細胞様の紡錘形細胞に富み、 繊細な膠原繊維を主体とする繊維形成を呈するが上皮細胞の異型は乏しい疾患である。 小腸や大腸にも生じることがあるが、食道では稀である。 遺伝子学的には、PDGFRA (Platelet-Derived Growth Factor Receptor Alpha) の機能亢進変異を伴っていることが多い。
問題は、この病変は腫瘍であるか否か、ということである。 よく勉強した学生であれば、pdgfra と聞くと、GastroIntestinal Stromal Tumour (GIST) や、真性多血症でも高頻度に変異がみられる遺伝子としてピンとくるかもしれぬ。 その pdgfra 遺伝子の変異が、Inflammatory Fibroid Polyp においても同様にみられる、というのであれば、 このポリープも GIST や真性多血症と同様の腫瘍性病変なのではないか、と考えるのは自然な発想である。
病理診断学の聖典 Goldblum JR et al., Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 11th Ed. (Elsevier; 2018). の態度は曖昧である。 「胃」の章ではポリープの節で紹介しており、非腫瘍性病変として扱い、 pdgfra の変異が高頻度にみられることから腫瘍性病変の可能性がある、と述べるに留めている。 一方で「小腸」の章では、間質腫瘍の節に含められており、暗に良性腫瘍として扱われている。 これに対し消化器病学の名著 Podolsky DK et al., Yamada's Textbook of Gastroenterology, 6th Ed. (Wiley Blackwell; 2016). の態度は明確で、「腫瘍である」と断言している。 ただし、そのように考える根拠は明記されていない。
Inflammatory Fibroid Polyp は、歴史的には、自然史や組織学的所見などから、非腫瘍性の、反応性病変であろうと考えられてきた。 しかし H. U. Schildhaus らは pdgfra の変異が高頻度にみられることを指摘し、腫瘍性病変である、と主張した (J. Pathol. 216, 176-182 (2008).)。 なお、この Schildhaus らの報告では tumour という語が「腫瘍」ではなく「腫瘤」というような意味で使われている。 確かに tumour の原義は「腫脹」あるいは「腫瘤」であるが、この用法は現代では一般的ではない。 さて、この pdgfra の変異は後に J. Lasota ら (Modern Pathol. 22, 1049-1056 (2009).) や S. Huss ら (Histopathol. 61, 59-68 (2012).) によっても確認され、改めて Inflammatory Fibroid Polyp は腫瘍性病変である、と主張された。
注意すべきは、細胞増殖性の遺伝子変異があるからといって、それは腫瘍であるという証拠にはならない、という点である。 腫瘍とは、歴史的には、細胞が外部からの刺激に依存せずに自律性に増殖する病変のことをいう。 その意味では、遺伝子変異が背景に存在したとしても、細胞の反応性の増殖が過剰に起こっているだけの病変は、腫瘍ではなく過形成である。
ただし、そうした古典的な定義に無批判に従うべきではない。 学術の進展に伴い、従来の定義が不合理であるとなれば、我々は、それを変えることを躊躇すべきではないからである。 従って、遺伝子変異を背景とする細胞増殖性疾患を腫瘍という、と定義することの是非も検討せねばならぬ。
結論を先に述べると、この「遺伝子変異の有無によって腫瘍と非腫瘍とを区別する」という考えは、不適切である。 なぜか、ということを書こうと思ったのだが、いささか長くなってきたので、続きは明日にしよう。