これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/18 インフォームドコンセント

昨日の話の続きである。

誤用の頻度が高く、しかも臨床的に重大なのは「インフォームドコンセント」や「ムントテラピー」である。 インフォームドコンセントは、過去にも何度か書いた通り、「病状説明」の意味に誤用されることが多い。 また、しばしば「IC」と略称される。 一方「ムントテラピー」は、現代では原義で使われることはなく、専ら「病状説明」の意味に誤用されている。

いうまでもなく、「インフォームドコンセント」とは「患者が、病状や治療方針について理解・納得した上で同意する」という意味である。 だから、インフォームドコンセントするのは患者であって、医者ではない。 それなのに、「患者に対し病状や治療方針を説明すること」を「IC する」と表現する者が多い。 「インフォームドコンセント」の意味も間違っているし、主語が患者ではなく医者になっているのも、おかしい。

こういうことを書くと、「どちらでも良い」「揚げ足をとるな」などと言う者がいるが、的外れである。 そもそもインフォームドコンセントの概念を正しく理解していれば、医者の分際で「インフォームドコンセントする」などと誤用するはずがないのである。 誤用するという事実は、患者のインフォームドコンセントを尊重する意思を欠いていることの証左である。

原義におけるインフォームドコンセントは、医療行為の違法性を阻却するために、緊急避難にあたる場合を除いては必須の要件であると考えられている。 それなのに、現実には、インフォームドコンセントは、ほとんど行われていない。 医者が一方的に患者に説明し、「わかりました」と言わせ、同意書にサインさせることを「IC」と呼んでいるのである。 「インフォームドコンセントの記録」のような文書をみると、患者や同席者からは特に質問もなかった、というような記載がなされていることも多い。 素人である患者が、自分の身体についての小難しい医療の話を聞かされて、何の疑問も質問も湧かないはずがない。 質問がなかった、ということは、「全て理解した」という意味ではなく、単に「医者に遠慮して訊けなかった」というだけのことである。 だから米国の内科学の名著 Kasper DL et al., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed. (McGrawHill; 2015). などには、「患者に質問させることが重要である」と記載されている。

医者に遠慮して質問できない患者であっても、自分の身体のことであれば、本当は不安を感じていることが多い。 だから「実は主治医の先生には、あまり詳しいことを訊けなくて」などと、看護師や研修医、あるいは学生などに言う患者は少なくないのである。 また、家族や周囲の人に相談し、不安を述べることもある。 すると家族は「何とかしてあげたい」と頑張り、強い態度で医療従事者に不満や主張を述べることもある。 そこで想像力の足りない医療従事者は、患者の心情を理解できず、「モンスターペイシエントだ」などと判断し、「不満があるなら別の病院に行ってください」と突き放す。 現実に、そういうことが起こっているのである。

中には「キチンと説明したのに、患者がよくわかっていないのだから、患者が悪い」などと開き直る者もいる。論外である。 説明したかどうかは関係なく、患者が理解したかどうかが問題なのである。 患者が理解しなかったのなら、理解できないような説明をした医者が悪い。 私も、指導医が患者に対し「説明」するのを横で聞いていて「こんな説明で、素人が理解できるわけがないじゃないか」と思ったことは、一度や二度ではない。

諸君は、かつて、患者の痛みがわかる、優しい医者になりたいと思ったことであろう。 それが、なぜ、こうなってしまったのか。

私は病理医の卵であり、患者の主治医にはならない立場である。 そこで臨床の諸君は、「君は患者を診ないから、そういうことが言えるのだ」と述べて私の口を封じようとする。 しかし、患者を診ない私に、このようなことを指摘されている諸君は、はたして、それで臨床医だと胸を張って言えるのか。 知識を蓄え技術を磨いても、肝心の人間としての中身が涵養されていない。 そんな医師に診られたい患者が、いるとでも思っているのか。

そもそも、市中の開業医や小規模病院の中には、本当のインフォームドコンセントに基づく医療を行っている医師もいるのである。 私が地域医療研修の一貫として訪れた病院には「私は、どうなるのでしょうか」と述べた患者に対し、 「どうなるのか、ではなく、あなた自身は、どうしたいのか」と問い返す内科医がいた。

そういうことなのである。 患者の中には「先生に失礼があってはいけない」などと意味のわからないことを考え、「余計なことを言わないように」と萎縮して診察室に入る人が稀ではない。 それに対し「ああしろ、こうしろ、この薬を飲め」と医者が命じ、患者はよく理解しないままに従う、というのが、インフォームドコンセントを欠く医療の典型である。 しかし本当の臨床医療は、あなたは本当はどうしたいのか、それを聞き出すところから始まる。 我々は学生の頃、そのように教わったはずである。 それを実践せずに「不満があるなら、よそに行け」などと言うようでは、医師たる資質がない。

諸君こそ、患者を診ていないだけでなく、立派な態度で診療している地域の医師の姿もみていないではないか。


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