これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/17 使いにくい言葉

だいぶ間隔があいた。このあたりの事情については、後日、記載しようと思う。

さて、誤用が広まってしまったために本来の意味でも使いにくくなってしまった言葉、というのは少なくない。 たとえば「役不足」という言葉である。 本来、「あなたが、こんな地位についているとは、役不足ですね」といえば、相手を称えている表現である。 あなたは、もっと重責を担う立場にいるべきだ、というような意味だからである。 しかし「役不足」を「力不足」の意味に誤解している人は稀ではないようなので、とんでもなく失礼なことを言っていると誤解されかねない。

「性癖」という誤も、難しい。 白川静の『字通』によれば、「性」とは、生まれながらの本質、性質を言い、「癖」の原義は「消化不良」であって、転じて「くせ」の意味となった。 「性癖」という熟語は、従って「性質、くせ」ぐらいの意味なのであるが、時に「性的嗜好」の意味に誤解されることがあり、日常生活では使いにくい言葉となった。

また「精力絶倫」も、使いにくい。「精力」とは、『字通』によれば「根気」の意味であるが、 「精」の字が「精子」に通じるためか、「性的活動性」の意味で用いる者がいる。 また「絶倫」も、「なみはずれ」が原義であるが、誤の響きが「不倫」に似ているせいか、「淫邪」というような意味に誤解されることがある。 すなわち、「精力絶倫」は「根気があって特に優れている」という意味なのに、「性的活動性が高く、淫らである」というように解釈される恐れがある。

誤用が広まってしまい使いにくい言葉は、医学の世界においても同様に存在する。 「熱感」という語は、「体が熱いと感じる、患者自身が自覚する症状」を表す語であるが、 なぜか「触診上、体の全部または一部が熱い」という身体診察所見の意味で使う医者が少なくない。 冷静に考えれば、触診所見ならば「熱い感じがする」のではなく「実際に熱い」のであって、「熱感」という熟語になるはずがない。 この所見を表わす正しい医学用語は「発熱」である。

「発熱」と聞くと、素人は全身性の発熱だけを連想するであろうが、医学用語としては、「局所の発熱」という概念もある。 医学を修めた者であれば、「炎症の古典的三徴」として「腫脹」「発赤」「発熱」が教科書に記載されていることを知っているであろう。 この「発熱」というのは、全身の発熱を意味するのではなく、炎症が起こっている局所が熱くなる、という意味なのである。 なお、全身性の発熱のことを「熱発」と表現する医療従事者は少なくないが、これは俗語であって、正しい医学用語ではない。

「通じれば良い」「臨床的には、それで通じる」などと言う者もいるが、話にならぬ。 現実に、通じていないからである。 言葉を適切に使っていないにもかかわらず通じた気分になっているのは、諸君が、なんとなく、曖昧にしか物事を考えておらず、キチンとした議論をしていないからである。

検査所見の数値が「上がる」という表現の問題などについては、過去に何度か書いた。 たとえば肝逸脱酵素の「数値が上がる」という事実は、肝細胞傷害を示唆する所見ではあるが、実際に肝細胞傷害があるかどうかは別の話である。 検査誤差や、他の要因の寄与を考えなければならないからである。 だから「数値が上がっている」という事実を認めたら、次に生理学的、病理学的な考察をしなければならない。 しかし実際には、その過程を省略し、「肝酵素高値だから○○をする」というような言い方をし、実際にカルテにそのように記載する医者が少なくない。

論理が甘いのである。 物事を考えていないから、言葉遣いが緩くなるのである。


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