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2018/01/06 研究医養成

近年、若手医師の中に病理医志望者は増えつつあると思われる。 名古屋大学時代の私の同級生でも、最大で 7 人、ひょっとしたら 8 人、病理志望者がいる。 むろん、学生時代から優秀だった者ばかりであり、いずれ名古屋病理学黄金世代と呼ばれる人々である。

一方、他の臨床医学分野でも同様であろうが、臨床病理学においても、研究医の養成を推進することが急務とされている。 確かに病理医志望者は増えているものの、診断業務に特化した者が多く、病理学研究の大海原を往こうとする者は少ないと聞く。

月刊「病理と臨床」の今月号には、基礎病理学研究に従事する若者を育成する目的で、筑波大学などが行っている取り組みが紹介されていた。 似たような試みは、我が北陸医大 (仮) も含め、諸大学で試みられている。 個々の大学によって特徴はあるものの、概ね、病理診断医としての研鑽と並行して研究に従事し、キャリアを形成するための道筋を作ってやろう、 という制度であると私は理解している。

教授陣の苦労が忍ばれる。 たぶん、センセイ方は全てわかった上で、敢えて、そうした制度を作っているのであろう。 私がこれから書く内容は、センセイ方を批判しているのではなく、センセイ方が言いたくても言えないことを代弁するだけのものである。

本当は、「充実した教育システム」というような、既存の枠組の中に自ら入っていこうとする精神が、そもそも、違うのである。 科学というものは、学術研究というものは、誰も知らない、何もないところに、新たに何かを組み立てる作業である。 与えられたコースに乗って、提示されたシステムに入ろうとする時点で既に、研究者としての基本的な精神の自立が乏しいと言わざるを得ない。 とはいえ、この人材の窮乏を凌ぐために、なんとか人を呼び込むために、上述のようなキャリア形成支援制度を設けようとしているのが現状である。

対照的なのが文科や理科の研究者達である。 現状では、大学院博士課程を修了しても就職に有利にならないどころか、むしろ圧倒的に不利になる。中退は論外である。 それでも、学問が楽しいから、必要なことだからと、将来の安寧を放棄して、人類の未来と科学の発展のために学問の道に踏み込んだ人々が、彼らである。 むろん、死屍累々である。博士課程修了者の数に比して、就職先の数は圧倒的に少ないのである。 あぶれた人々は非正規雇用で何とか凌いでいるのであろうが、正確なことは誰も把握できていない。 そういう未来を知った上でなお、我が身を顧みずに、彼らは戦っている。

私も、その敗残兵の一人である。 敗れはしたが、まだ、死んではいない。


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