これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/01/05 いわゆる癌の免疫療法

月刊「病理と臨床」というオタク向け雑誌がある。 今月号の特集は「免疫チェックポイント療法と病理」というものである。 題名から想像される通り、近年、日本でも流行しているニボルマブなどの、いわゆる免疫チェックポイント阻害薬に関係する記事である。 こうした薬剤は極めて高価である一方、どの程度の効果があるのかは、はっきりしない。 転移のある悪性腫瘍に対して長期生存をもたらした、とする非盲検の報告もあるが、信憑性が乏しいことは過去に書いた。 いまのところ、これらの薬剤は免疫組織化学的所見によって適応が決まる、とされているらしい。 たとえば、抗 PD-L1 抗体であるペムブロリズマブを使うには、PD-L1 を高発現していることを組織学的に確認せねばらなない、という具合である。 こうした、薬剤の適応を判断し、治療方針を決定するための診断を「コンパニオン診断」などと呼ぶ。 そうした状況をふまえて「病理と臨床」誌などは、病理診断に求められる役割が増している、というような論調の記事を多数、掲載している。

これに対し少なからぬ臨床医は、冷ややかな視線を送っているように思われる。 病理診断といっても、結局、臨床医からの求めに応じて、プロトコール通りの免疫染色を行い、陽性細胞を鑑別し数える作業である。 私は実務経験がないから大きな声では言いにくいが、素人目には、特に高度な学識や知性を要求される作業ではないように思われる。 いずれコンピューターに代替されるべき業務であろう。 また、特に医学的判断を要する作業ではないのだから、現状においても、病理医ではなく臨床検査技師が実施して良いのではないか。

そういった議論が、業界誌である「病理と臨床」に掲載されないのは、なぜか。 遺伝子診断などが普及するにつれ、古典的な組織学的診断の価値が相対的には低下しており、我々病理医の存在価値が問われる時代が到来していることに対し、 多くの病理医は薄々と危機感を抱いているであろう。 そこで「組織学的コンパニオン診断」と聞いて、「これこそ病理医の仕事だ」とばかりに安堵しているのではないか。 しかし、それは本当に、医者の仕事なのか。

特に今回の特集で気になったのは、皆が同じようなことを書いている、という点である。 免疫チェックポイント阻害薬は画期的だ、進行癌でも長期生存が期待できる、もはや標準治療の一部である、コンパニオン診断として組織学的検査が重要だ、 といった具合で、細かい技術的なことを別にすれば、異口同音に、同じことを多数の著者が書いているのである。 センセイ方は、本当に、ご自身の頭脳で考え抜いて、免疫チェックポイント阻害療法の有効性を心の底から信じて、そのように主張しているのだろうか。

たとえば免疫チェックポイント阻害薬の有効性を予想するバイオマーカーについて、弁別能と有意差の違いのような 統計の基本的なことを忘れてしまったかのような記載が少なくない。 また、不適切な暗黙の多重検定によって誇張された Kaplan-Meier 法のデータを無批判に引用した記事もあった。

臨床医が眼前の患者を助けたいあまりに前のめりになって、冷静な判断力を喪い、科学的思考を忘れてしまうのは理解できなくはない。 しかし病理医は、常に、沈着冷静でなければならぬ。

利権や期待を抜きにして、本当に冷静に科学的に評価した場合、いわゆる免疫チェックポイント阻害薬は、どこまで有効なのか。 北陸医大 (仮) の某外科系診療科で研修を受けていた際、ある指導医がポツリと漏らした言葉は印象的であった。

「オプジーボで本当に良好な経過をたどった患者など、みたことがない。」


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