これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/03/22 最後の救急当直

過日、人生最後になるであろう救急当直を終えた。 我が北陸医大 (仮) の場合、研修医が救急当直の任にあたるのは月 1 回程度である。これは、他院に比べると極端に少ないようである。

救急外来こそ研修医の活躍の場だ、というような考えを持っている者もいるようだが、私は、そうは思わない。 そもそも、救急外来は医療の基本でも何でもないのだから、これを初期臨床研修で必修としていること自体、納得がいかない。 さらにいえば、「将来的に救急医療をやらない研修医」を念頭に置いた教育体制が、北陸医大では充実していないように思われる。 このあたりの問題については、過去に何度か書いた

さて、最後の救急当直を終えてつくづく思ったのだが、やはり私は、臨床の最前線には向いていない。 それが悪いことだとも、恥ずかしいことだとも思わないが、どう考えても、向いていないのである。 これを知り合いの看護師にこぼしたところ、「あなたは、それで良いんですよ」と言われ、だいぶ気が楽になった。

ところで、2020 年度から、初期臨床研修で産婦人科が必修になるらしい。 どうやら、産婦人科医が少ないために、志望者を増やすための方策であるという。 よくわからないのだが、初期研修で経験すれば志望者も増えるだろう、という思考らしい。

この発想には、2 つの問題がある。 1 つは、初期研修を若手勧誘の場と勘違いしていることである。 研修のカリキュラムは、より良い医師を育てることを目的として設計するべきである。 人手が欲しい、などという診療科や学会の都合で必修科目を設けるようでは、医師全体の教育水準や意欲が下がる。

もう 1 つは、そもそも、経験させれば志望者が増えるはずだ、という傲慢な発想である。 自分達が産科学や婦人科学、あるいは産婦人科の臨床を好きで楽しく感じているからといって、他の人も同様に感じるとは限らない、という基本的なことをわかっていない。

実際、私は二年間、臨床諸科で研修して、気持ちが揺らいだことは微塵もない。 1 ヶ月や 2 ヶ月の期間限定で、半ば「お客さん」のような状態で研修するだけならともかく、 これをライフワークになど到底できぬ、と、常に思っていた。 むろん、産婦人科研修の時も、そうであった。

産科学や婦人科学、あるいは産婦人科臨床の面白さ、魅力を伝えたいなら、それは、学生時代に済ませておくべきである。 医学科での教育をおろそかにし、国家試験対策の姑息的勉強に終始する一方、初期研修の名の下に勧誘会への参加を強要するとは、何事であるか。 そういう発想をできる連中が医療界の重鎮を占めているのであれば、なるほど、日本の医学・医療水準が低下するのも、当然である。


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