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2017/12/26 臨床検査の解釈

クリスマス休暇を挟んだため、少し間があいた。

臨床検査結果を、キチンと評価してカルテに記載する医師は少ない。 評価はしているが、忙しいから細かくはカルテに記載していないのだ、という言い訳をする者もいるが、大抵の者は、キチンと評価していない。

たとえば前回書いたトロンボポエチンの話である。 臨床的に、多少の血小板増多がみられたとしても、多くの医師は「問題ない」と判断し、カルテに何も記載しないと思われる。 学生時代、私は、具体的に何であったか忘れたが、血液検査の何かの項目の軽度の異常をみて、 理解しかねて指導医に「なぜ、このような異常値が出ているのでしょうか」と問うたことがある。 すると指導医は「その程度の異常は、よくあることだから、気にしなくてよい」と述べた。 冷静に考えれば、「よくあるかどうか」と「気にするべきかどうか」は関係ない。 要するに、その指導医は、何も考えていなかったのであろう。

学生や研修医であれば、細かな検査所見についても「なぜ?」「どうして?」と疑問を持ち、解決に努めるべきである。 そのためには、前回述べたようなトロンボポエチン産生の調節機構についても、必然的に、関心を向けなければならぬ。 それを「臨床的には重要ではない」と安易に切り捨てる者は多いが、一体、諸君は何を学んでいるのか。

一応は検査結果を評価し、カルテに記載はしていても、その思考過程を明確には書かない医師もいる。 「○○の測定結果から、△△病ではない」などと簡潔に記すスタイルである。 まぁ、その判断が自明であるような場合には、それでも良いかもしれぬ。 たとえば「ヘモグロビン値が 15.2 g/dL であったから、貧血ではない」という論理には、ほとんど隙がないといえる。 それでも、細かいことをいえば、高度の脱水があれば貧血でもヘモグロビン値 15.2 g/dL という結果はあり得るから、注意は必要である。 さらに問題が大きいのは、論理が明確でないにもかかわらず、思考過程を省略している場合である。

たとえば、多血症、つまりヘモグロビン値が 20 g/dL などと異常高値の患者について原因を精査したところ、肝腫瘤がみつかったとする。 もしやエリスロポエチン産生腫瘍ではないか、と考え、血清エリスロポエチンを測定して、結果は 20 mU/mL であったとしよう。 医学書院『臨床検査データブック 2017-2018』によれば、基準範囲は概ね 8-30 mU/mL である。 そこで不勉強な医者は「基準範囲内だから、エリスロポエチンは異常高値とはいえない」と考え、カルテに「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」などと書くかもしれぬ。

むろん、この考えは誤りである。 エリスロポエチンの産生は、生理的にはヘモグロビン濃度、正確にいえば組織への酸素供給の程度に応じてフィードバック制御を受けている。 両者の関係については、「臨床検査データブック」366 ページや、 Aster JC et al., Pathophysiology of Blood Disorders, 2nd Ed. (McGraw Hill; 2017). の 20 ページの図を参照されると良い。 すなわち、ヘモグロビン値が 20 g/dL もあるような患者では、このフィードバック系が保たれているならば、エリスロポエチンは低値になる。 それが 20 mU/mL もあるならば、フィードバック系が破綻しているといえる。エリスロポエチン産生腫瘍を強く疑う所見なのである。

それを単に「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」とカルテに書かれてしまうと、読んだ側は、困る。 その医者が不勉強ゆえに間違えているのか、それとも何か別の深遠な思慮の末に「エリスロポエチン産生腫瘍ではない」と結論したのか、わからないからである。 カルテは他の医療従事者や患者本人が読むための記録である、という基本を忘れてはならぬ。


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