これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/12/21 名古屋大学での医療事故

我が母校が、50 年近く前に起こした医療事故についての報告を公表した。 1970 年に手術を行った際にガーゼを体内に置き忘れたらしく、それが腹腔内腫瘤として 2014 年に摘出された、というのである。 損害賠償などの手続が全て完了し、患者の同意が得られたため、昨日、公表したとのことである。 過去に事故が起こっていたこと、それによって患者に重大な害が及んだことは極めて遺憾であるが、それに対する病院当局の対応には問題がない。

なお、本件について 朝日新聞産経新聞読売新聞は、いずれも不正確な報道をしている。 名大の発表文には、この患者は 2014 年に骨盤内腫瘍と診断されて手術を受けたとあるが、それが本当に腫瘍であったとは記載されていない。 むしろ、キチンと意識して「骨盤内腫瘤」という表現が用いられている。 だいたい、医学の常識からいって、ガーゼを体内に置き忘れたからといって腫瘍ができるとは考えにくい。 炎症が起こり、肉芽腫を形成し、腫瘤となるであろうが、それは腫瘍ではない。 朝日は見出しで「体内にガーゼ 腫瘍の原因?」と書いているし、産経は「腫瘍に布のような物が含まれていた」、 読売は「腫瘍になり、14年の手術で人工肛門を付けることになった」と、いずれも名大のプレスリリース文とは異なる内容を報道している。 もしかすると、記者会見では口頭で誤って「腫瘍」と言ったのかもしれないが、医学の基礎を学んだ者であれば、それが「腫瘤」の言い間違いであることは容易に理解できる。 おそらく、医学に無知な記者が誤解して書いたのであろう。 伝統的に、新聞社では政治部や社会部が花形とされており、自然科学などは扱いが低いという。そうした無関心が、こうした水準の低い記事を生んでいるものと思われる。

さて、詳細は書かぬが、病院において、他の医療機関で不適切な診療を受けていたことが明らかになることは、それほど珍しくはない。 検査の過程で、過去に医療事故が起こっていたことが判明することもある。 これらに気づいた場合、医師としての対応は容易ではない。

一番簡単なのは、患者には黙っておくことである。知らぬが仏であり、カドが立たない。平和である。実際、多くの医師が、そうしているのではないか。 ただし、この対応をするためには、医師としての良心を捨てなければならない。

道義的観点から最も理想的なのは、患者の意向を確認した上で、ありのまま、全てを患者に伝えることである。 ただし、その「不適切な診療」を行っていた医療機関や医師との関係が悪化する恐れがある。 本来、そんなことは気にするべきではないのだが、病院や医院の経営のことを考えると、そこを躊躇する医師の気持ちは理解できなくはない。 現実的なのは、患者にカルテの開示請求を勧め、必要な助言を提供する、というものであろう。

名古屋大学附属病院は、事故を隠さない、という姿勢を徹底している。 不適切な事例があった場合には、誰でも、学生でも、匿名でインシデントレポートを提出できる。 情報を共有し、反省し、より良い医療を実現しようということである。 私も学生時代に、たまたま遭遇したインシデントを報告したことがある。

病院によっては、インシデントレポートを匿名で提出することができなかったり、 あるいは部署の責任者を通して提出することになっていたりする。 この場合、部署ぐるみでの「インシデント隠し」が行われることもある。 実際、ある病院で私は、そういう事例をみたことがある。

今回の名大の事例にしても、黙っておけば、平和であった。 摘出した異物は廃棄して、よくわからない肉芽腫がありました、というだけで済ませておけば、名大は事故を公表する必要がなく、賠償せずに済んだのである。 それを、わざわざ検査して「ガーゼらしきもの」だと確認し、証拠は不充分だが自分達が過去に失敗したらしい、などと認め、賠償したわけである。

名古屋大学にいた頃は、こうした名大病院の姿勢について、そんなの当然ではないか、と思っていたのだが、外に出てみると、そうではなかった。 学生時代の私は、名大はレベルが低い、などと言っていたのだが、実はそうでもなかったのである。

名古屋大学は、意外と、水準が高い。

2017.12.21 誤字修正

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