これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/03/20 患者を嗤う医者、教育者としての医者

日記の更新間隔が長くなってしまっている。よろしくない。

患者を嗤う医者というのは、世の中に、意外と多い。 たとえば、飲まねば命にかかわるような薬を敢えて飲まなかったがために、意識障害を来して救急車で運ばれてきた、というような患者について、 医者同士の雑談で「何やってるんだ、馬鹿じゃないのか」などと嘲笑するのである。 あるいは、病状説明をしてもよく理解しない患者について「理解力が低い」といって、突き放すのである。

あたりまえのことであるが、患者が薬を飲まないのには、それなりの理由がある。 副作用が嫌なのか、認知機能が低下しているのか、それとも生活習慣に問題があるのか、あるいは薬代が高いのか、とにかく、何かの理由がある。 それを理解しようとせず、「どうしようもない患者だ」などと切り捨てるのは、医者としてあるまじき姿である。

病状説明や治療方針について理解しない患者、というのも同様である。 患者の理解力が低いのではなく、医者の話し方が悪いのである。 むろん、患者は素人なのだから、必ずしも医学的に厳密な理解をしている必要はない、というより、それは不可能である。 が、「よくわからないが、医者に飲めと言われたから飲んでいる」というようなことを患者に言わせては、ならぬ。

医者には、教育者としての側面がある。 素人である患者に対し、自身の健康を促進するための適切なアドバイスを提供することは、医者の仕事である。 うまく指導できなかったなら、それは、あなた方の落ち度なのである。 患者を嗤うのではなく、自身の至らなさを反省しなければならぬ。

教育者としての側面があるのは、我々、病理医も同じである。 ただし我々の場合、説明する相手は、主に医者であって、患者ではない。

医者が患者をチラリとみただけで、あるいは CT などの画像をサラリと眺めただけで診断を下すのをみて、素人は「すごい」と感じるかもしれない。 が、いかなる名医であっても、そのような僅かな所見だけで正確な診断を行うことは、不可能である。 各種疾患の頻度などを元に「まぁ、たぶん、この病気だろう」と推量しているに過ぎない。 名医であれば、それで 8 割は「当てる」ことができようが、2 割は外す。 ついでに言えば、そのあたりを自覚している巧い医者は、敢えて診断名をボカして、たとえば「大腸ポリープですね」などと患者に言うので、 まるで 100% 当たっているかのような印象を与える。 しかし、「ポリープ」というのは所見であって病名ではないから、これは診断としては曖昧に過ぎる。 いわば、風邪だか結核だか肺癌だか判然としない患者に対して「発熱ですね」と言っているようなものである。

我々の仕事は、主に、そうした診断に自信を持てない臨床医に対し、適切な診断を与えることである。 「あなたの診断は、合っています」と言うこともあれば、「それは間違っています」と言うこともある。 臨床医だけでは誤診を避けられない「2 割」を拾い上げ、「大腸ポリープ」ではなく「大腸癌」だとか「過形成性ポリープ」だとか、具体的な病名を確定する仕事である。

だから我々は、臨床医が納得できるような病理診断報告をしなければならない。 患者に理解して納得してもらうことが臨床医の仕事であるのと同様に、臨床医に理解して納得してもらうことが病理医の仕事なのである。 臨床医に「臨床所見からは単なる炎症にみえるが、病理が癌だと言っているから、まぁ、癌なのだろう」などと言われるようでは、病理医としては、不足である。 「病理がそう言っているから」ではなく、臨床医自身が納得することが重要なのである。

そういう仕事を、我々は、しなければならぬ。


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