これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2017/12/11 甲状腺機能低下症 (4)

リチウム投与が甲状腺機能低下症を引き起こす、という意見はあるが、はっきりしない。 臨床的な統計は、交絡因子が多すぎて、因果関係を証明するのは極めて難しいからである。 では理論的側面は、どうか。

ラットにおけるリチウムの毒性試験の結果が 基礎と臨床 7, 1299-1332 (1973). に報告されている。 これによると、リチウム投与を受けたラットにおいて、組織学的に上皮細胞の腫大などの変化がみられた。 これは、体重 1 kg あたり 40 mg/day の炭酸リチウムを投与されたラットの一部において軽度にみられ、投与量を増やしたラットでは組織学的変化も増強したらしい。

問題は、投与量である。 添付文書上、炭酸リチウムの投与量は最大で 1200 mg/day であり、維持量は 200-800 mg/day である。 体重を 40 kg としても、体重 1 kg あたり 5-20 mg/day ということになる。 昨日紹介した Schou らの報告によれば、ヒトとラットで、血漿中と甲状腺でのリチウム濃度の比には大差ないらしい。

以上のことから考えると、もし臨床的な量のリチウムを投与されたヒトで甲状腺障害が生じるならば、 ヒトの甲状腺上皮細胞はラットに比べて、リチウムに対する傷害をかなり受けやすいはずだ、ということになる。 逆に、そうでないならば、臨床統計においてみられる「リチウムによる甲状腺機能低下症」は、何らかの交絡因子によるものであって、 リチウムそのものが原因ではない、と考えざるを得ない。 どちらが正しいのか。

この問題を考えるには、ヒト甲状腺上皮細胞とラット甲状腺上皮細胞を用いた in vitro の実験によって、リチウムへの感受性を調べる必要がある。

近年では、臨床統計を偏重し理論を軽視する風潮があり、こうした基礎的な実験が疎かにされている。 臨床統計の方がインパクトファクターを稼ぎやすい、という事情もあるだろう。 また、若い学生や研修医の中には、思考停止して「臨床統計でそうなったのだから、そうなのだろう」などと述べる者も遺憾ながら少なくない。

本当に科学的に意義のある研究をしようと思ったら、安易に臨床統計に奔るのではなく、こうした基礎研究を積み重ね、医学理論を構築せねばならない。


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