これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
すこし間隔があいた。 何回かに分けて、甲状腺機能低下症について書こう。英語でいえば hypothyroidism である。
甲状腺機能低下症は、臨床的に overt hypothyroidism と subclinical hypothyroidism に分類される。これらを日本語で何と呼ぶかは、知らぬ。 内分泌学の名著 Jameson JL et al., Endocrinology Adult and Pediatric, 7th Ed. (Elsevier; 2016). によれば、 Subclinical hypothyroidism とは
The first step in the spontaneous development of primary hypothyroidism is a slight decrease in thyroid secretion of thyroxine (T4), which causes increased release of TSH. The decreased T4 secretion results in a modest decrease in the serum concentration of free thyroxine (FT4), which still remains within the normal reference range, but serum TSH increases to values above the upper normal limit because of the exquisite sensitivity of the pituitary thyrotroph for circulating thyroid hormone (giving rise to the log-linear relationship between serum TSH and FT4). The condition is known as subclinical hypothyroidism.
一次性甲状腺機能低下症の初期においては、まず甲状腺からのチロキシン (T4) の分泌が僅かに減少し、結果として TSH の放出が亢進する。 T4 の分泌減少により、遊離チロキシン (FT4) の軽度の減少を来すが、正常な基準範囲内に留まる。 一方、血清 TSH レベルは正常上限を超える。 これは、下垂体の甲状腺刺激ホルモン産生細胞が血中甲状腺ホルモンレベルに高い感受性を持っているからである。 こうした状態は subclinical hypothyroidism と呼ばれる。
この教科書は優れた臨床医学書ではあるが、厳格な医学的思考を放棄している点が遺憾である。 Subclinical hypothyroidism というのは、ある病態を意味する言葉であるから、検査値が基準範囲内だとか正常上限だとかいうことによって定義されるべきではない。 そもそも原文にある normal reference range という言葉は意味不明であるし、normal range というのも意味が曖昧である。 現代の臨床検査医学では、正常範囲 (normal range) という不正確で曖昧な言葉は使わず、統計に基づいて定義された基準範囲 (reference range) を用いるのが普通である。
Subclinical hypothyroidism という語を、病態に基づいて定義すれば、次のようになるだろう。 「早期の一次性甲状腺機能低下症においては、下垂体からの TSH 分泌が亢進することで甲状腺ホルモンの分泌能低下が代償される。 この状態を subclinical hypothyroidism という。」
ついでにいえば、TSH は T4 よりも T3 をやや選択的に分泌させるので、T4 と T3 の比をみることも、subclinical hypothyroidism の診断に役立つ。 いずれにせよ注意すべきことは、これらは頭をカラッポにして検査値を眺めれば自動的に判断できるようなものではなく、 あくまで病態をよく考えて診断すべきものだ、という点である。 まともな学生であれば「そりゃ、そうだろう」と思うだろうが、恐るべきことに、中途半端に経験を積んだ研修医や若い医師は、そのあたりのことを忘れてしまうのである。