これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


医学日記 (2018 年度 1)

2018/06/23 病理学会  第 3 日

学会最終日である。 午前の前半は、剖検講習会に参加した。 よく知らないのだが、専門医資格を取るためには、事前に課題レポートを提出した上で、これに参加しなければならないらしい。 が、私は、そういう事情をよく調べておらず、課題レポートというものの存在も、つい一昨日に知ったばかりであるので、当然、準備してきていない。 今回はレポートを出さずに、話だけを聴いた。まぁ、レポートは来年で良かろう。

この講習会は、実際の解剖症例を題材に剖検報告書の書き方をレクチャーするものであったが、一つ、おや、と思う点があった。 この症例は、肺小細胞癌による SIADH (syndrome of inappropriate ADH secretion) を生じており、脳転移もみられ、意識障害や歩行障害などの中枢神経障害を呈していた、というものである。 中枢神経障害の原因は SIADH による低ナトリウム血症と考えられるが、脳転移の影響もあり得る、というような診断例が示された。 しかし本症例では、脳転移はかなり限局した病変であって、症状を呈するとしても巣症状と考えられ、神経解剖学的な観点から、臨床的にみられた症状の原因たりえるかどうか判断できるはずである。 にもかかわらず、脳転移があるのだから意識障害や歩行障害もありえる、と判断するのは、いささか単純に過ぎ、乱暴ではないか。 しかし私は、事前にレポートを書いておらず、組織像もみていないという引け目があったから、敢えて質問には立たなかった。 他のマジメな参加者が、なぜ、そのような質問をしなかったのかは、わからぬ。 もしかすると、私の医学的理解が乏しいだけなのかもしれぬ。 ただし、名古屋時代の同級生である某君に話してみたところでは、もう少し議論の余地がありそうだ、という点で意見が一致した。

午前後半の病理診断講習会は参加せず、ポスターセッションをみに行った。 本日は研修医や学生のセッションがあるので、理想と野望に燃える若者たちの野心的な発表が聴けるものと期待したのである。 残念ながらポスターの多くは「貼り逃げ」状態であった。しかし、それでも何人かの発表者は自分のポスター前で待機し、訪れた人に積極的に声をかける者も複数いたのだから、昨日や一昨日の発表者連中よりも、科学者としての水準が高いといえる。

中でも積極性が突出していたのが、九州大学の飯塚統氏を筆頭とするグループである。彼らは、学生ベンチャー企業を立ち上げ、コンピューターによる組織診断プログラムを開発しており、その宣伝を兼ねた成果報告を行っていた。 発表者が言うには、病理医の少ない国や地域などで診断に使ったり、あるいは病理医による診断の精度を上げる補助に使ったりすることを想定しているとのことである。 私は、診断に特化した病理医から仕事を奪うことを狙ってはいないのか、と尋ねた。 発表者は、それは考えていない、と言い、理由として、過去の文献で、コンピューター単独での診断より、病理医がコンピューターを補助的に使った方が診断精度が高いと報告されていることを挙げた。 しかし冷静に考えれば、その種の報告では「正解」とされる診断を人間が決めているのであって、実は、「正解」の方が間違っている可能性がある。 むしろ、形態的判断に限れば、人間がコンピューターより正確に判断できるとは思われない。 病理医を絶滅させることを狙うべきだ、と、私は述べた。

他に際立っていたのは摂南大学薬学部病理学研究室の学生 3 人組で、中でも、大嶋成奈優氏が突出している印象を受けた。 彼女ら 3 人は、私がアレコレと質問をしたのに対し、すっきりと明快な答えを返した。むろん、傍に指導者はおらず、彼女ら自身の頭脳と言葉で説明したのである。

学術的な問題について私が繰り出す質問というのは、しばしばネチネチしており、面倒くさいものが多い。 北陸医大 (仮) に出入りしている製薬会社の MR (Medical Representative) 氏の中には、私が質問しようとして挙手すると「うわぁ、嫌な奴が挙手しやがった」と言わんばかりの顔をする者がいるほどである。 しかし、私は彼らの製品について薬理学的で基礎的なことを質問しているだけなのだから、答えられないのは、単に彼らが勉強不足なだけであって、私は悪くない。

その私が、相手が学生だからといって加減することなしに、本気で質問したのである。 それに対し、しっかりと回答したわけだから、上述の大嶋氏らの学術的水準は、かなり高いといえる。 そこらへんの、何もわからないままセンセイに言われた通りに実験するだけの医学科生とは、比較にもならぬ。 大学入学時点では、いわゆる「学力」において、かなりの差があったはずであるが、その後の数年間の過ごし方で、はるかに逆転しているのである。 まぁ、薬科のマジメな学生は医科の連中よりはるかに優秀だ、というのはよく知られた事実なので、比較するのも失礼な話なのかもしれぬ。

さて、学生たちが意欲的にポスター発表している以上、年長者である我々が、そのポスターをみないなどということがあっては申し訳ない。 私は、当初はランチョンセミナーに参加する予定であったのだが、ポスターをみる時間が足りなかったので、やむなく宿題報告やランチョンセミナーをサボって、ポスターを読み、適宜、コメントつき名刺を残した。 むろん、ポスターの全てを隅から隅まで読むわけではない。 タイトルがいかにもつまらなそうであれば、そこで終わる。 研究目的が書かれていなかったり、書かれていても曖昧で漠然としているものは学術的価値がないから、それ以上は読まない。 結論が空虚なものも、読まない。 目的と結論が面白そうであれば、そこで初めて、中身を読む。 だいたい他の人も、同じような読み方をしているのではないか。

なお、学生発表の多くが剖検症例の報告であったことは遺憾である。 学生は医師ではないのだから、それらの症例を学生自身が診断したわけではないはずである。 いわゆる gift authorship にあたる。 これは、学術倫理的に問題があるだけでなく、教育的にもよろしくない。 学生自身が完全には理解できていない内容を、学生に発表させてはならない。 実際、質問に対して「共同発表者」である指導者が横から助けを出す場面が、多すぎるのである。

午後は、胎盤の診断講習会に出席した。 まぁ、面白かったが、あくまで診断講習会なので、あまり学術的ではなく、それほど興奮しなかった。


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