これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2018/05/15 MEDSi

さきほど、用事があって学内の書店に行ったところ、 メディカルサイエンスインターナショナル (MEDSi) が作成した学生向けの小さなパンフレットが置かれていたので、一部、いただいた。 MEDSi は、医学書を専門とする出版社であって、国産書籍も出してはいるが、翻訳書を幅広く取り扱っている。 代表的なのは『ハリソン内科学』であろうが、現在、私の手元にあるだけでも、他に 神経解剖・生理学の『カンデル神経科学』の他、『ラングマン 人体発生学』は発生学の名著であり、 『CT・MRI 画像解剖ポケットアトラス』は携帯している放射線診断医も多いはずである。 国産の書物としては、『胸部の CT』『MRI の基本 パワーテキスト』が有名である。 私の感覚でいえば、MEDSi の教科書、特に訳書には「外れ」がない。 ただし、同社が扱っているのは主に学生向けの教科書であって、本職の医師が読むような重厚な教科書は、あまり扱っていないようである。

で、その MEDSi が作成したパンフレットのタイトルは 「誰のために分厚い内科学書があるのか?」というものであって、「医学生の教科書選びのための参考資料」というのが副題である。 要約すれば、ハリソン内科学は学生にもお勧めですよ、という趣旨である。 それには、私も全面的に賛成する。 名大時代の私の同級生も、特に優秀な層は、だいたいハリソンを持っていたように思う。 ハリソンは、学生向けの教科書なのであって、「医師になってからも使える」という程度である。

このパンフレットをみて気になったのが、「学生さんたちの生の声」として紹介されているものである。 「必要なことは全て書いてある」という東京医科歯科大 4 年生の声を筆頭に、2-4 年生の意見が掲載されている。 「ハリソン内科学を使ったら 根暗な僕でも彼女ができました!! (中略) パチンコ、競馬でも勝ち続け、負け知らずです!! これもすべてハリソン内科学のおかげです!!」という声もあるのだから、ハリソンの神通力は偉大である。

そもそも、二年生や三年生が「ハリソン」を読むことを、私は、お勧めしない。 そのくらいの学年なら、まず基礎をしっかり勉強するべきである。 「ハリソン」には多少の生理学的背景も記載されているとはいえ、あくまで臨床の教科書であり、基礎医学の学識を有していることは前提として記述されている。 それを、基礎の不充分な二年生や三年生が中途半端にかじったところで、疾患の本態を理解するには至らず、むしろ 表面的な知識の習得のみで終わり、学問のあり方としてはイビツなものになってしまうのではないか。 二、三年生が重厚な書物を読もうと思うのであれば、むしろロビンスの厚い方だとか、 Goodman & GIlman's The Pharmacological Basis of Therapeutics だとか、そういった基礎的な書物の方が適しているだろう。 あるいは、多くの高学年生や研修医あるいは若手医師が生理学に疎いという事実を考えると、「ガイトン生理学」を読んだ方が良いかもしれぬ。 とにかく、三年生に「ハリソン」は、早すぎる。

問題なのが、上述の「必要なことは全て書いてある」という東京医科歯科大の学生の声である。 ハリソンを読んで、そのような感想を抱く学生は、勉強が全く足りない。

誤解している者もいるようだが、「ハリソン内科学」は、内科学の教科書としては浅薄である。 ページ数でいえば、原書第 19 版の本文は 2770 ページしかない。広大な内科学をこの程度のページに収めるには、大事な情報をかなりの程度、割愛せざるをえない。 たとえば、感染症学の教科書である Bennett JE et al., Mandell, Douglas, and Bennett's Principles and Practice of Infectious Disease, 8th ed. (Elsevier; 2015). は本文が 3577 ページである。 心臓病学の Zipes DP et al., Braunwald's Heart Disease, 11th ed. (Elsevier; 2018). は 1944 ページ、 消化器内科学の Podolsky DK et al., Yamada's Textbook of Gastroenterology, 6th ed. (Wiley Blackwell; 2016). は 3069 ページ、 内分泌学の Jameson JL, De Groot LJ et al., Endocrinology Adult and Pediatric, 7th ed. (Elsevier; 2016). は 2687 ページ、 膠原病学の Firestein GS et al., Kelley & Firestein's Textbook of Rheumatology, 10th ed. (Elsevier; 2017). は 2086 ページである。 これらの他に、呼吸器内科学だとか、腎臓病学だとか、その他の諸分野を包括するのが「内科学」であることを思えば、「ハリソン」が実に薄い本であることが理解できよう。

つまり、「ハリソン」をはじめとする「内科学書」というのは、内科学の総論と序論を述べているに過ぎず、その深淵には到底、届かない。 キチンと勉強した学生であれば、ハリソンを読んで、「痒い所に手が届かない」もどかしさを感じるはずなのである。

学問というのは、修めれば修めるほど、疑問が湧き、謎は深まり、わからなくなるものである。

2018.06.21 余字削除

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