これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
胎盤病理に関心を持っている。 病理医として、全身諸臓器を診る能力を身につけねばならないのは当然であるが、その中でも専門分野を何か持つのが普通である。 では自分が何を専門にするか、と考え続けてきたが、近頃では、胎盤を専攻しようかと思うようになってきた。 今年の後半に出版される Vogel M et al., Clinical Pathology of the Placenta という教科書を、今から楽しみにしているぐらいには、胎盤が好きなのである。
もともと私は、非腫瘍性肺疾患、特に間質性肺炎に強い関心を持っていたし、今でも、それは変わっていない。 しかし病理診断医としては、非腫瘍性肺疾患は専攻しにくい。 というのも、我が北陸医大 (仮) をはじめとして多くの病院では、非腫瘍性肺疾患の病理診断はあまり行われていないからである。 長崎大学の福岡教授の所などにいけば、そうした疾患に触れる機会も多いであろうが、諸般の理由から、現時点で長崎行きは考えていない。 あの分野において近年流行している Multi-Disciplinary Discussion (MDD) の「診断」方法に強い疑念を抱いている、という事情もある。
それに対し胎盤は、検体数が多い割には、多くの病理医が関心を向けていないのが現状である。 過日、病理関係者が集まる小さな宴席で、今年の抱負を述べる機会があった。 そこで私が「胎盤をよく勉強しようと思う」と述べた所、ある中堅病理医は「渋いな」と言い、ある教授は「こいつは何を言っているんだ」と言わんばかりに顔をしかめた。 遺憾ながら、胎盤病理というのは、そういう扱いを受けているのが現状なのである。
胎盤病理学の教科書として有名なのは `Pathology of the Human Placenta' であろう。 これは 2012 年に出版された第 6 版が最新であるが、そろそろ次版が出そうな頃合である。 我が北陸医大には 2000 年の第 4 版が所蔵されているのみであり、いささか寂しい。 他には、マニュアル本としては Diagnostic Pathology シリーズの `Placenta' があるが、これは次版が今年の末に出るらしく、私の購入予定リストに入っている。 あとはアトラスとして米軍病理学研究所 (Armed Forces Institute of Pathology; AFIP) が出版している Atlas of Nontumor Pathology シリーズの `Placental Pathology' も有名である。
日本語で書かれた胎盤病理の教科書には、立派な成書は乏しい。 有名なのは中山雅弘『目でみる胎盤病理』(医学書院; 2002). という薄い教科書であるが、既に絶版のようである。 そこで私は先日、有澤正義『臨床胎盤学』(金芳堂; 2013). と有澤正義『胎盤が語る周産期異常』(東京医学社; 2015). を購入した。 前者はタイトルこそ教科書風であるが、中身はマニュアル本に近い。また、後者は症例集である。 いずれも重厚な成書とは呼び難いが、診断技術に特化するのではなく、疾患の病理学的背景、生理学的考察に基づいて記載されており、たいへん、よろしい。
この『臨床胎盤学』の「はじめに」は、名文である。同書を手にとる機会があれば、ぜひ一読して欲しいのだが、その末尾は次のように締められている。
私は, 胎盤を検査する時, いつもこの児が悪くなった原因を見つけよう, 次の児を助けようと思って胎盤検査をしています. この思いを, 他の施設の産婦人科医, 新生児科医, 病理医にもっと伝えたいと思いこの本を書きました.
私はこれまで何例かの胎盤を診てきたが、正直にいうと、そこまで強い気持ちを持って診ていなかった。 何か異常はないかな、という程度の態度であって、これという異常がみつからなかった場合には、明らかな異常なし、という趣旨の報告を書いた。 死産児の胎盤であっても、「何が何でも異常をみつけてやる」というほどの情熱ではなかったのである。怠慢であったと言わざるを得ない。
一応、弁明すると、これは私が医師として基本的な資質を欠いていたからではなく、私の胎盤病理学に対する見識が乏しかったからである。 母体や胎児の異常で死産になったのであれば、胎盤に明らかな異常がみつからないこともある、と、思っていたのである。 この点について有澤氏は、『臨床胎盤学』の 152 ページで次のように明確に述べている。
胎盤要因だけでなく, 母体要因・胎児要因はほとんどが胎盤にその証拠が残る
「不明な原因で胎児が死亡したのに、胎盤検査しても異常がみつからない」などということは、滅多にない、というのである。 以後、心して胎盤と向き合う所存である。