これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
キチンとした医学書ではなく、平易で不正確なアンチョコ本に頼って勉強してきた学生が、しばしば口にするのが「○○しようとする」という表現である。 たとえば、多量の発汗などにより循環血液量が減少したヒトにおいて、「体液量を維持するために尿量を減らそうとして集合管での水の再吸収が亢進する」という具合である。
言うまでもなく、腎臓は「尿量を減らそう」という意図を持って、水の再吸収を亢進させているわけではない。 生理学的には、たとえば、体液量の減少によって血漿浸透圧が高くなり、下垂体におけるバソプレシンの分泌が亢進し、 そのため集合管におけるアクアポリンの発現が増強され、水の再吸収が亢進するのである。 結果的に体液量は維持されるかもしれないが、「体液量を維持しよう」「尿量を減らそう」というような目的に従って体が反応しているわけではない。
よく知らないが、たぶん多くのアンチョコ本では、読者を「わかったつもり」にさせるために、あるいは「覚えやすく」するために、 「人体は、ホメオスタシスを維持する方向に反応する」という前提で生理現象を「説明」しているのだろう。 素人が一般教養として生物学や生理学をかじる程度なら、そういう「理解」の仕方でも、まぁ、良いかもしれぬ。
しかし我々はプロである。 特に、疾患というものは、大抵、ホメオスタシスが破綻した状態である。 患者の体内で起こっている現象を理解するには、上述のような目的主義とでもいうべき考え方は通用しない。 だから、「○○しようとする」などというゴマカシではなく、ホメオスタシス維持機構の詳細を、我々は理解しなければならない。 生理学の名著である Hall JE, Guyton and Hall Textbook of Medical Physiology, 13th ed. (Elsevier; 2016). も、 ホメオスタシスを重視して生理学を語っているものの、目的主義は採用していない。
ついでにいえば、患者に対して病態を説明する際にも、この目的主義を安易に使うべきではない。 腎臓は何も考えていない、などということは小児でも理解できることである。 目的主義を使って説明するのは、科学的見識が乏しく、不正確であっても「わかりやすい」説明を喜ぶような患者に限定せねばならない。
たとえば物理学を修めた者であれば、医者が目的主義で説明すれば「こいつは、ごまかしているな」と、瞬時に見抜くであろう。 あるいは「こいつ、藪医者だな」ぐらいに思うかもしれぬ。 ひとたび、そのように思ってしまうと、もはや質問しようという気も起こらぬ。 そういう不信感を患者に抱かせてしまった場合、それは、あなた方の過失である。